笠置シヅ子と淡谷のり子は仲良し?実は不仲だった?「わろてんか」でも描写あり、弟は戦死だった?

笠置シヅ子と淡谷のり子は仲良し?実は不仲だった?「わろてんか」でも描写あり、弟は戦死だった?

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笠置シヅ子と淡谷のり子は仲良し?実は不仲だった?「わろてんか」でも描写あり、弟は戦死?をタイトルにお伝えしたいと思います。

連続テレビ小説「ブギウギ」は、東京を舞台にしても、なお面白い展開ですね。

茨田りつ子役の菊池凛子さんを楽しみにしています。

淡谷のり子さんと笠置シヅ子さんという2人の関係に注目が集まっています。

この記事でわかること:

笠置シヅ子と淡谷のり子の関係はライバル?

淡谷のり子さんは1937年に「別れのブルース」で一気にスターとなりましたが、笠置シヅ子さんはその10年後の1947年に「東京ブギウギ」を発表し、「ブギの女王」と呼ばれるようになりました。

2人の歌唱スタイルは全く異なり、淡谷のり子さんはクラシック音楽を学び、オペラ歌手を目指していた一方、笠置シヅ子さんは戦後の日本を元気づけるパフォーマンスをすることで有名になりました。

淡谷のり子さんは笠置シヅ子さんのスイングする歌唱スタイルをあまり好ましく思っていなかったそうです。

しかし、淡谷のり子さんには憧れを抱いていたというエピソードもあります。

両者の関係はライバルとまで言えるものではなく、お互い異なるスタイルで音楽活動を行っていたことがうかがえます。

クラシック歌手だけでは収入を保証することが難しいため、笠置シヅ子は流行歌なども歌うことで生計を立てていました。

このため、彼女は自分と淡谷のり子をライバルとしてではなく、異なる分野で活躍する存在と考えていたかもしれません。

笠置シヅ子と淡谷のり子の関係には興味深い点があります。

彼女たちは共通して服部良一に師事していたことや、両者が娘を持つシングルマザーであるという共通点があります。

7歳の年齢差があっても、子育てに奮闘する母親同士として共感を覚える部分もあったでしょう。

笠置シヅ子と淡谷のり子の関係は仲良し?

実際に、彼女たちはお互いの家を行き来する仲であり、笠置シヅ子の娘には淡谷のり子が「お母さんに感謝しなさい」とアドバイスする姿も見られました。

おそらく、彼女たちはお互いが一人娘を愛し、大切に育てる姿勢を尊重し合っていたのかもしれません。

また、服部良一の計らいで、彼女たちは戦時中に合同公演を行ったことが記録されています。

共演するということは、淡谷のり子も笠置シヅ子の才能と存在を認めていた可能性があります。

そして、笠置シヅ子の人生は朝ドラ「わろてんか」でも描かれています。

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笠置シヅ子は朝ドラ「わろてんか」で描かれていた

2023年に放送された朝ドラ「ブギウギ」では、笠置シヅ子の半生が描かれました。

また、2017年に放送された朝ドラ「わろてんか」では吉本興業の創業者である吉本せいの人生が描かれました。

このドラマでは、葵わかなが吉本せいを演じ、夫である北村藤吉役を松坂桃李が演じました。

物語では、吉本せいが旅芸人の藤吉と結婚し、息子の隼也が生まれるまでの過程が描かれます。

藤吉は二度の脳卒中で亡くなり、隼也は跡を継ぎますが、アメリカ留学を経験したいと考えます。

さらに、隼也は銀行頭取の娘である加納つばきと出会い、恋に落ちるストーリーも展開されます。

隼也と彼女は政略結婚を強要された状況で、駆け落ちを決意します。

一方の主人公、てんは隼也との関係を理由に家族から勘当され、後に彼が子供を持ち幸せに暮らしていることを噂で知ることになります。

この際、関わってくるのが加納つばきという女性で、実は笠置シヅ子さんとは異なる背景を持っています。

彼女は歌手ではなく、銀行頭取の娘であり、生まれた子供も男の子でした。

この物語では、吉本せいの生涯を中心に据えており、歴史的事実と異なる部分もありますが、それはモデルとなった人物や物語の設定に基づくものです。

「わろてんか」では、若くして亡くなった藤吉が幽霊として度々主人公の妻の前に現れます。

朝ドラでは、亡くなった人物が幽霊として登場する描写がよく見られ、亡くなった人物たちの存在は物語に興味深さを与えます。

次回作「ブギウギ」では、鈴子が吉本せいの息子役を演じる俳優は誰なのか気になります。

あおい

早逝した夫は幽霊として登場するのか、その展開も楽しみですね!

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笠置シヅ子の弟(亀井八郎)は戦死した?兄はいた?

笠置シヅ子の弟である八郎について、戦死したのかどうかや他に兄弟がいたのかに注目したいです。

笠置シヅ子が生まれた時、実の母親である谷口鳴尾は母乳が出なかったため、同時期に亀井うめ(養母)が出産した亀井うめから授乳を受けました。

谷口鳴尾は結婚が認められずに子供を出産し、父親である三谷陳平が亡くなっていたため、子育ては困難な状況でした。

そこで、亀井うめに子供を預けることにしました(笠置シヅ子は生後6ヶ月頃)。

同時期に亀井うめが出産した男の子は、残念ながら3歳ほどで病気で亡くなります。

亀井家には他にも兄(頼一)がいたようですが、こちらも病気で亡くなっているとのことです。

笠置シヅ子は長い間、自分が養女であることを知らずに育ち、実の親や血縁者からではなく、ごく普通の両親の子供であると信じられてきました。

17歳の時に養子として迎えられた笠置シヅ子さんの元には、2歳年下の弟「八郎」がいました。

兄弟として親しい関係を築きながら、父親は上京してから床屋を開業していました。

実際には、兄弟はとても仲が良く、お互いに何でも話し合える仲だったそうです。

しかし、その仲良しの姉弟関係も、兄の六郎が戦地へ行くときに突然終わってしまいました。

六郎はベトナムで戦死し、八郎にとっては25歳という若さでの悲劇が訪れたのです。

笠置シヅ子さんと父親は悲しみに暮れ、泣き崩れてしまいました。

そんな時、笠置シヅ子さんに「大空の弟」という軍歌を提供したのが服部良一先生でした。

笠置シヅ子さんは、当時は敵性音楽として非難を受けていたものの、この歌を通じて兄弟の絆や思い出を胸に抱き続けました。

あおい

大切な軍歌になったね・・。

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笠置シヅ子のプロフィール

笠置シヅ子さんは、1914年8月25日に香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)で生まれました。

小学校を卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験しましたが、身長が低かったために不合格となりました。

その後、松竹楽劇部養成所に合格し、芸名を「三笠静子」としました。

後に「笠置シズ子」と改名し、松竹歌劇団(OSK)に入団しました。

服部良一さんと出会い、一緒にジャズを歌ったり、映画に主演するなど活躍しました。

戦争が激化する中でも、慰問活動などで自らの歌声を活かし、歌い続けました。

まとめ

このたび、田舎の別荘で暮らす淡谷のり子さんのことや、朝ドラ「わろてんか」でも取り上げられたエピソード、そして弟について調査してみました。

あおい

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!

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