ピアニストや指揮者、さらに実業家としても活躍する反田恭平さん。
反田恭平さんは、数々の音楽コンクールで成功を収め、「最もチケット入手困難なピアニスト」としても知られています。
反田恭平さんがどのような学校に通っていたのか気になりますよね。
そこで、今回は反田恭平さんの経歴や出身校、そして年収について詳しく調査してみました。
反田恭平のプロフィール
画像引用元:プロフィール| 反田恭平 | 日本コロムビアオフィシャルサイト (columbia.jp)
反田恭平さんのプロフィールについて見ていきましょう。
反田さんは、1994年9月1日生まれで、身長170cm、血液型はAB型です。
東京都世田谷区出身で、生まれは北海道札幌市とのこと。
本名も同じく反田恭平です。
所属事務所
反田恭平さんの所属事務所は、株式会社NEXUSです。
この事務所には、ヴァイオリニストの岡本誠司さんやピアニストの務川慧悟さんも在籍しています。
年収
反田恭平さんの年収については公表されていません。
一般的なピアニストの平均年収は、およそ647万円程度と言われています。
しかし、反田恭平さんはピアニストとしてだけでなく、実業家としても活動し、株式会社ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)を設立しています。
そのため、年収は数千万円を超える可能性もあるでしょう。
外見
反田恭平さんは若い頃からイケメンとしても注目を集めていました。
反田さんがメジャーデビューした頃(2015年から2016年頃)の姿は、とても魅力的でしたね。
反田恭平の経歴
反田恭平さんのピアニストとしての経歴を見ていきましょう。
反田恭平さんは4歳の時にヤマハ音楽教室でピアノを始め、その後一音会ミュージックスクールにも通い、絶対音感を磨いていきました。
中学生の頃から様々なコンクールに挑戦し、2015年にはアルバム『リスト』でメジャーデビューを果たしました。
2017年には第27回(2016年度)出光音楽賞を受賞し、第9回CDショップ大賞ではクラシック賞を獲得しています。
全国ツアーは全13公演が完売し、2万人を動員する大成功を収めました。
2021年に開催された第18回ショパン国際ピアノコンクールでは、反田恭平さんは見事第2位を受賞しました。
これにより、同コンクールにおける日本人の最高位タイ記録が更新され、内田光子さん以来51年ぶり2人目となりました。
また、反田さんはピアニストとしてだけでなく、自らのオーケストラであるジャパン・ナショナル・オーケストラを設立し、指揮者としても活動しています。
中学生でメジャーデビュー、その後も目覚ましいご活躍ですね!
反田恭平の学歴
反田恭平さんの学歴を見ていきましょう。
小学校時代
反田恭平さんは、世田谷区立八幡山小学校に通っていました。
反田さんは運動会で応援団長を務めるなど、活躍していました。
また、小学校時代はサッカーチームに所属し、真剣に取り組んでいましたが、怪我をきっかけにサッカーをやめざるを得ませんでした。
中学校時代
反田恭平さんは、世田谷区立烏山中学校に通っていました。
2009年には第2回エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクールで第1位に輝くなど、中学生時代から早くから才能を発揮していました。
高校時代
高校時代には桐朋女子高等学校に通っていました。
女子高ですが、音楽科のみ男女共学となっていました。
音楽科は古くから名門として知られています。
反田恭平の大学時代
桐朋学園大学
反田恭平さんは高校卒業後、キャンパス特待生として桐朋学園大学に進学し、音楽学部に在籍しています。
入学直後、ミハイル・ヴォスクレセンスキー氏の推薦によりロシアへ留学し、2014年にはチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院のピアノ科に外国人枠で首席として入学しました。
2015年、創立以来初のピアノ科全額特待生として桐朋学園ソリスト・ディプロマコースへ進学しました。
入学直後に留学しつつ全額特待生…!
ロシアのモスクワ音楽院
反田恭平さんが通っていたロシアのモスクワ音楽院は、非常に高レベルな大学でした。
モスクワ音楽院は、世界的に有名な音楽学校で、パリ高等音楽院やジュリアード音楽院と並んで世界三大音楽院のひとつに数えられています。
反田さんは、ミハイル・ヴォスクレセンスキー氏の推薦を受け、20歳の時にこの音楽院に首席で入学しました。
当時からピアノの腕前は非常に高かったようです。
2015年には、第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクールで優勝しました。
同年にリリースしたアルバム『リスト』で、世界的に一躍注目を集める存在となりました。
世界三大音楽院のひとつに主席入学…!
ポーランドのショパン国立音楽大学
2017年には23歳で、ショパン国際ピアノコンクールへの出場を目指し、ポーランドのショパン国立音楽大学に留学しました。
この音楽大学はポーランドでもっとも歴史と伝統がある大学の一つで、ショパン自身もこの大学で学んでいたことから「ショパン国立音楽大学」という校名となっています。
反田さんはこの大学に進学した時、すでにヨーロッパでプロのピアニストとして活躍しており、その人気から「最もチケットが入手困難なピアニスト」として知られていました。
そのため、コンクールへの出場について最終エントリー期限が迫るまで悩んでいました。
しかしながら、「自分の実力を試したいという気持ちや、幼少期から憧れていたあの舞台で協奏曲を演奏したい」という思いが勝り、最終的に出場する覚悟を固めたそうです。
2021年には「ショパン国際ピアノコンクール」で2位に輝き、これは日本人歴代最高位タイという快挙を達成しました。
反田恭平さんは大学3年生の時に日本音楽コンクールで第1位を獲得し、聴衆賞を含む4つの特別賞を受賞するなど、その才能を更に磨いてきました。
憧れの舞台で2位を獲得したのは嬉しかったでしょうね!
まとめ
反田恭平さんの才能は、10代の時点から高く評価されていたことがわかります。
反田恭平さんの今後の活躍がますます期待されますね。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!