安倍派のキックバック問題で話題になっている、自民党の谷川弥一衆議院議員。
画像引用元:谷川弥一 衆議院議員 (tanigawa81.jp)
谷川議員は、長崎県出身で住宅メーカー「谷川建設」を1971年に創設し、17年にわたって県議会議員を務めてきました。
谷川議員の家族については、妻を2015年に亡くしており、3人の子供たちはそれぞれ会社経営者として活躍していました。
特に長男である谷川喜一さんは「谷川建設」の代表取締役を務めているようです。
今回は谷川弥一議員の家族構成を詳しくご紹介していきますので、最後までご覧ください。
妻:谷川貞子
まずは妻の貞子さんについてご紹介します。
谷川弥一議員の妻である貞子さんは、2015年10月13日に71歳で亡くなられています。
谷川議員は19歳の時に家業である谷川商事を継ぎ、20代は会社のために日々努力していたそうです。
結婚した年についてはわかりませんが、1971年、貞子さんが27歳の時に長男である喜一さんを出産されたことから、20代前半で結婚された可能性が高いと考えられます。
会社の運営に関わっていたかは明確ではありませんが、貞子さんは黙々と谷川議員を支えていたのではないかと推測されます。
71歳は長生きでしたね!
長男:谷川喜一
谷川弥一議員の長男、谷川喜一さんについて注目してみましょう。
喜一さんは谷川建設の代表取締役を務めています。
経歴
谷川喜一さんの経歴を詳しく見ていきましょう。
喜一さんは 1971 年生まれです。
谷川建設の代表取締役には、1997年に就任しました。
喜一さんは本来、住宅メーカーで修行を積んでから家業を継ぐ予定だったそうですが、諸事情により早々に谷川建設に入社することになりました。
修行がまだ不十分な状態での入社であったものの、社員のサポートを受けつつ、代表取締役としての職務を果たされてきたそうです。
喜一さんは当初、営業課長としての入社が予定されていたそうですが、26 歳という若さで代表取締役に就任されたとのことです。
現在では、谷川建設を含むグループ会社である谷川商事株式会社、マルキ開発株式会社、ティーズデザイン株式会社などを展開し、九州地域で 18,000 棟にも及ぶ実績を誇る大企業に成長させました。
26歳で代表取締役就任は若い!
妻:谷川富貴
谷川喜一さんの妻、富貴さんについても触れてみたいと思います。
富貴さんは、元農林水産大臣である金子原二郎さんのお嬢様です。
金子さんは2022年に政界を引退しました。
喜一さんと富貴さんが結婚されたのは、金子さんが長崎県知事を務めていた頃だったため、一部では「政略結婚」との噂もあったそうです。
また、長崎県の石木ダム建設において、谷川弥一議員と金子さんが賛成派であったことから、谷川建設にも何らかのバックがあるのではないかと囁かれています。
ただし、これらの噂の真相はわかりません。
喜一さん自身は非常に優しい印象の方です。
政界との繋がりには裏があるかもと思ってしまいますね!
長女:田丸加代子
谷川弥一議員の長女、田丸加代子さんについてもご紹介いたします。
田丸さんの夫である田丸昌和さんは、谷川建設のグループ企業である株式会社ティーズデザインの代表取締役を務めながら、谷川建設の取締役にも就任されています。
田丸さんは、喜一さんの妻富貴さんと一緒に谷川建設のグループ企業である株式会社T・G・Fの取締役を務めていました。
しかし国営の諫早湾干拓地への入植問題で、証人としての出席を不当に拒否したとして検察に告発されています。
調査特別委員会から出席を求められた際、農作業の忙しさを理由として不当に出席を拒否していたようです。
県議会は田丸加代子さん・谷川富貴さん両氏を地方行政法違反で検察に告発することを賛成多数で決定していました。
現在の活動については不明ですが、夫の田丸昌和さんが家業を支えていると思われます。
取締役だったのに農作業のほうが忙しいんですね・・・
次女:三宅浩子
谷川弥一の次女、三宅浩子さんは、谷川建設のグループ企業である株式会社マルキ開発の取締役を務めています。
マルキ開発では、土木建築資材や住宅設備機器、木材、海外建材、資材の輸入などの販売を手がけています。
特に、大手ゼネコン向けに土木建築資材の販売を行い、急速に売上を伸ばしている企業です。
3人の兄妹が家業を引き継ぎ、業績を伸ばしている姿は父親譲りの実力を示しているのではないでしょうか。
やはり建設関係の会社なんですね!
まとめ
今回は、谷川弥一議員の家族構成を紹介しました。
妻の谷川貞子さんは2015年に亡くなられましたが、子どもたちやその配偶者が谷川建設やその関連会社で要職を務めていることが分かりました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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