【谷川弥一衆議院議員の学歴と経歴】般若心経問題や頭悪いね発言とは?をタイトルにお伝えしたいと思います。
自由民主党所属の衆議院議員で自由民主党総務副会長を務めている谷川弥一議員。
最近ではキックバック(裏金)問題で話題になっていますが、彼はどのような人物なのでしょうか。
調べてみると、彼は住宅メーカー「谷川建設」の創業者でありました。
彼は1987年に長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たしました。
その後、安倍晋三内閣で農林水産大臣政務官や、第2次安倍内閣では文部科学副大臣を務めました。
今回、彼の経歴、学歴、そして過去の不祥事についてまとめてみましたので、最後までご覧ください。
谷川弥一のプロフィール
まず、谷川弥一のプロフィールに注目してみましょう。
引用元…gooogle画像検索
谷川弥一(たにがわ やいち)は、1941年8月12日生まれ、出身地は長崎県南松浦郡岐宿町(現:五島市)です。
1971年に株式会社谷川建設を設立し、社長と会長を務めます。
1987年から2003年まで(5期間)、地元長崎県の県議会議員を務め、その後2003年に長崎3区から自由民主党公認で立候補し、初当選しました。
現在は衆議院議員として活躍中です。
谷川弥一の家族
次に、谷川弥一議員の家族構成に焦点を当てましょう。
彼の家族は以下の通りです。
– 妻:谷川 貞子
– 長男:谷川 喜一(現在、谷川建設の代表取締役)
– 長女:田丸 加代子
– 次女:三宅 浩子
谷川弥一議員の妻である谷川貞子さんは、2015年10月に71歳で亡くなられました。
子供は3人おり、長男の谷川喜一さんは谷川弥一議員が創設した住宅メーカー「谷川建設」の代表取締役を務めています。
また、長女の田丸加代子さんは谷川建設グループの「(株)T•G•F」の元取締役で、次女の三宅浩子さんは「(株)マルキ開発」の取締役をされています。
谷川弥一の人柄
家族経営の会社を立ち上げ、長い歴史を築いている谷川弥一氏の性格について、一緒に考えてみましょう。
谷川弥一氏は、若い頃は自己中心的で強気な性格だったそうです。
例えば、キックバック問題に関して質問を受けた際には、「頭悪いね。これ以上今日言いません」と直接的な言葉を使い、自らの意見を率直に述べています。
また、過去には谷川建設を巡る偏見やイライラから苦しんだ日々があったそうですが、その苦境を乗り越えるために、ポジティブな未来を描くことや般若心経を唱えることで前向きな気持ちを保ってきたとのことです。
このように考えると、彼は率直で裏表のない性格の持ち主なのかもしれませんね。
意外な一面があるんですね!
谷川弥一の経歴詳細
次に、谷川弥一氏の経歴について振り返ってみましょう。
彼は1971年に株式会社谷川建設を設立し、その後1987年に同社の会長に就任しました。
さらに同年には長崎県議会議員選挙に出馬して初当選し、5期にわたって務めました。
その後、2003年には長崎県議会議長に就任し、同年には自由民主党公認で衆議院議員選挙に出馬して初当選しました。
その後も、衆議院議員を歴任し、2017年の選挙では7選を果たしました。
さらに、地元の自民党での活動や内閣での役職なども歴任してきました。
谷川弥一氏は高校卒業後、家族経営の製材所で働き始め、30歳の若さで株式会社谷川建設を設立しました。
谷川建設は、住宅メーカーとして九州最大の18,000棟という実績を誇る大手企業であり、複数のグループ会社も展開しています。
谷川弥一氏は、谷川建設の会長に就任した後、長崎県議会議員選挙に立候補して初当選し、17年間にわたり県議会議員を務めました。
その後、2003年には衆議院議員選挙に出馬し、おおよそ20年間、国のために衆議院議員として活動されています。
谷川弥一の学歴詳細
また、谷川弥一氏の学歴にも注目が集まっています。
高校は長崎県立長崎東高等学校
谷川弥一氏の出身高校は長崎県立長崎東高等学校で、この学校の偏差値は61とされています。
卒業生には川谷絵音さんのようなミュージシャンもいます。
高校時代を振り返った自己紹介文には、親元を離れて下宿生活を始め、自己省察や読書に打ち込む重要な経験が記されています。
五島列島から通学するために下宿生活を送っていたことから、生活環境の変化や新しい生活に苦労された可能性が考えられます。
中学校は岐宿町立岐宿中学校と推測されている。
出身中学校については、岐宿町立岐宿中学校だとされています。
現在は岐宿中学校から名前が変わり、五島市立岐宿中学校となっています。
長崎東高校が中高一貫校であることから、地元の中学校に通っていた可能性が高いと推測されます。
小学校は岐宿町立岐宿小学校と推測されている。
さらに、出身小学校は岐宿町立岐宿小学校とされており、この小学校は中学校と併設されています。
これらの学校を経て、谷川弥一氏はその後の政治家としてのキャリアを築いてきました。
この地域には、五島市で有名な「楠原教会」という観光名所があり、とても美しい景色の街で成長したことがわかります。
谷川弥一が起こした不祥事
注目したいのは、議員である谷川弥一氏の過去の問題です。
谷川氏には以前、いくつかの問題行動がありました。
2009年10月には、芸者を会食に招いた際の費用を選挙活動費用として勘定書に記載したことが発覚しました。
2016年11月には、衆議院内閣委員会での質疑中に、途中28分で質問が終わったにもかかわらず、般若心経を唱え始めるという出来事がありました。
この行動は党内からも審議不十分と指摘され、海外メディアでも取り上げられる事態となりました。
その他、2019年5月には新鳥栖駅から武雄温泉駅までの新幹線建設計画に反対し、佐賀県に対して「韓国か北朝鮮を相手にしているような気分だ」と発言。
2019年5月に、長崎県諫早市で進行中の九州新幹線長崎ルートの建設現場を視察した際、鳥取駅から武雄温泉駅までの新幹線建設に反対する佐賀県の対応について、「佐賀県の山口祥義知事に向けて『韓国か北朝鮮を相手にしているような気分だ』という発言を行ったことが報じられました。
後に、この発言が不適切だと認め、撤回しています。
2020年6月には、2017年の衆議院議員選挙で関係者7人が公職選挙法違反の疑いで書類送検された事件が発生しています。
報酬を法定限度を超えて支払ったとされる運動員に対し、2人には執行猶予付きの懲役刑が言い渡されました。
安倍派の議員による裏金疑惑が浮上
さらに、2023年12月には安倍派の議員による裏金疑惑が浮上しています。
自民党内の政治資金パーティーで、安倍派に所属する議員が収入の一部を裏金としてキックバックしていたとの疑惑が持たれています。
特に、議員の谷川弥一氏は約4,000万円以上の裏金を集めた疑いが持たれており、記者からの質問に対し、やや苛立った態度で回答して話題となりました。
まとめ
谷川氏の経歴や過去の問題行動についても検証され、その一部として長崎県立長崎東高等学校を卒業し、長崎県議会議員を経て現在は衆議院議員として活動していることが明らかになっています。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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