【趣里の実家と学歴】出身大学は明治学院大学で高校は?バレエの実績と両親との関係も網羅!をタイトルにお伝えしたいと思います。
テレビドラマ『相棒』でおなじみの俳優、水谷豊さんと元キャンディーズのメンバーで女優としても活躍中の伊藤蘭さんの一人娘である趣里さんは、現在女優として頑張っています。
水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘で、最近は演技力が注目されている趣里さんの学歴や経歴についてお伝えします。
彼女は、大学生時代に進路に迷い、女優を目指すきっかけとなった出来事があります。
また、高校時代にはバレエに夢中になり、将来はバレリーナを目指していたというエピソードもあります。
趣里さんのプロフィールや経歴は?
なぜ趣里さんがバレリーナから女優の道へ進んだのか、その背景にはどんな事情があったのでしょうか。
私たちは今回、趣里さんの経歴や家族との関係に焦点を当ててご紹介します。
趣里さんについて知りたい方に役立つ情報をお届けします。
彼女のプロフィールは以下の通りです。
- 名前:趣里(しゅり)
- 生年月日:1990年9月21日
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 身長:158cm
- 趣味:フィギュアスケート、映画鑑賞
- 特技:クラシックバレエ、英語、ギター
- 所属事務所:トップコート
当時、両親が著名な俳優・女優であることから、女優としての道を選択することにはプレッシャーを感じていました。
しかし、演技指導者である塩屋俊さんからの「お前にはできる」という言葉が背中を押してくれ、女優を目指す決意を固めることとなりました。
「自分の力で成功したい」「親の影響ではなく、自分の実力で評価されたい」との想いから、本名である「水谷趣里」ではなく「趣里」として芸能事務所のエイベックス・マネジメントに所属しました。
そして、2011年に行われたオーディションに合格し、『3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP』で女優デビューを果たしています。
2014年6月に、ある舞台劇団であるオーストラ・マコンドーに加入しました。
その後、舞プロモーションという所や、フリーランスとして活動を経て、現在は所属しているトップコートには、2015年4月から在籍しています。
2017年には、テレビドラマ『過ちスクランブル』で、初めての主演を果たしました。
さらに、2018年には主演をつとめた映画『生きてるだけで、愛。』が公開されました。
その主演映画において、第33回高崎映画祭の最優秀主演女優賞や第42回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞するなど、多くの称賛を受けました。
バレエの経験や実績にも注目!
バレエの経験や実績にも注目が集まっており、特に興味深いですね。
彼女は4歳のとき、同じ幼稚園の友達に誘われてバレエを始め、「井上バレエ団」でクラシックバレエを習い始めました。
6歳のときには初めて舞台に立ち、小学5年生のときには『くるみ割り人形』の主役・クララを演じるなど、本格的にバレエダンサーを目指すようになりました。
その後、都内のインターナショナルスクールに3か月間在籍した後、イギリスのバレエ学校に留学する機会を得ました。
しかし、ジャンプの失敗によりアキレス腱を断裂し、足首の骨を折るなどの重傷を負い、「もう以前のように踊ることは難しい」と医師に告げられ、帰国しました。
その際、趣里さんは「全てを失ったような気持ちになり、絶望的な思いに包まれた」と振り返っています。
その後、大学進学を経て復帰を目指しリハビリを続けましたが、復帰することは叶わず、バレエダンサーへの夢を諦めざるを得ませんでした。
しかし、その失意の中で演技と出会い、女優としての道を歩み始めた経緯があります。
バレエダンサーとして成功していたら、彼女が今の女優・趣里になることはなかったかもしれませんね。
趣里さんのバックグラウンドについて詳しく説明しますね。
趣里さんの学歴
趣里さんは明治学院大学の文学部芸術学科に在籍していました。
大学への進学は通常は高校卒業後になりますが、趣里さんは高校を中退しており、まず、高卒認定試験を受け、その後、高卒認定試験に合格した後に大学を受験しました。
また、実際に大学に入学するためには、一般受験を受ける必要がありました。
思わぬ情報提供により、趣里さんの出身大学が日本大学ではなく明治学院大学であることが判明しました。
趣里さんは自身の経歴に関して、2020年のAERAのインタビューやREAL SOUNDのインタビューで、芸術学科に在籍していたことを明らかにしています。
文学部芸術学科では演劇の歴史や映画の鑑賞、身体表現などの授業を受けていたそうです。
「おもしろそうだな」と思ったことから専攻を選んだそうです。
趣里さんは大学受験において、英語は問題なかったものの世界史が苦手だったため、予備校に通って必死で勉強した記憶があると述べています。
覚えやすくするために絵を描いたり、替え歌を作ったりして勉強していたそうです。
このように、趣里さんは大学受験においても努力を惜しまない姿勢を示していたのです。
勉強を重ねる中で、だんだんと「必ず成功しなければならない」「失敗は許されない」というプレッシャーを感じるようになることがあります。
その際には、例えばバレエのオーディションを思い出して、「大学に合格しなくても、人生は終わらない」と自分に言い聞かせると、気持ちが楽になることがあります。
予備校時代には友達に恵まれており、お互いに勉強を助け合ったり、一緒にリフレッシュしたりすることで支え合っていました。
自身の大学生活について話す際、趣里さんはこう述べています。
「新しい知識を学ぶことが楽しかったです。専門の歌舞伎や絵画なども興味深かったですが、偶然履修した心理学が非常に面白かったです。人がどのような状況で心を動かされるのか、また仕事に役立つような内容も多く学びました。現在も機会があれば心理カウンセラーの資格を取得したいと考えています。」
女優業への転機はいつ?
高校時代にはクラシックバレエのレッスン中に大怪我をし、大学時代にはバレエの練習をしながらリハビリに励んでいました。
しかし、以前のように踊れなくなったことを理由に、バレエを在学中に諦める決断をしました。
この現実を受け入れるまでには時間がかかり、非常に精神的に追い詰められた状態だったと述べています。
それでも大学在学中に女優業に興味を持ち始め、「芝居を本格的にやってみたい」という思いを抱くようになりました。
そして、俳優の塩屋俊さんが主宰する「アクターズクリニック」のレッスンに気軽に参加したところ、演技の面白さに目覚め、本格的に女優を目指すようになりました。
彼女は言います。
「アクターズクリニックで塩屋俊さんという恩師に出会い、演技の喜びや楽しさ、苦しさなどを丁寧に教えてもらいました。そして、“自分のままで大丈夫だよ。「あなたは女優になるべきだ」と、優しく後押しを受けたことで、ついに私は女優になる決心がつきました。」
アクターズスクールに通っていた時は、週に3回もレッスンがあり、さらにはワークショップも受ける機会がありました。
役作りには細かくノートをとって提出するなど、結構ハードな日々だったそうです。
ちなみに、演技指導をしていた塩屋先生は評判が高く、女優の相武紗季さんや俳優の桐谷健太さん、向井理さん、鈴木亮平さんなどもこのスクールの出身者です。
ただし、残念ながら塩屋先生は2013年6月にお亡くなりになりました。
趣里さんのデビューはいつ?
また、趣里さんは大学時代に渡米し、アメリカの演技学校である「ステラ・アドラースタジオ・オブ・アクティング」で短期ワークショップを受講した経験もあります。
2011年3月、大学2年生の終わり頃には、「3年B組金八先生」のスペシャルドラマで女優デビューを果たしました。
このドラマでは当時21歳ながら中学生役を演じており、他の共演者からは「姉さん」と呼ばれ、恋愛相談なども受け持ったそうです。
役柄は、武田鉄矢さんが演じる金八先生に恋する母子家庭の生徒でした。
また、「Hey! Say! JUMP」の岡本圭人さんもこのドラマに生徒役として出演していました。
趣里さんとご両親(水谷豊&伊藤蘭)
当時、趣里さんは親のことを伏せてオーディションを受けていたため、出演者やスタッフは彼女が水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘であることを誰も知りませんでした。
彼女は当時、まだ自信を持てなかったため、両親に迷惑をかけることは避けたかったのです。
母親の伊藤さんは芸能活動を支持していましたが、父親の水谷さんは最初から反対していました。
しかし、趣里さんはあまり注目を浴びることはなかったため、下積み生活が約5年続きました。
最終的には、大学4年生の時に女優業に専念するため大学を中退しました。
大学を中退したことについて、趣里さんはインタビューで
「心残りがありますね。忙しくなって大学をやめざるを得なかったことが一つの心残りです。本当は卒業したかったんですけどね。ただ、自分自身としては挫折を克服し、再び夢を見つけられたことがとても嬉しかったので、覚悟を決めて次のステップに進むことにしました」
と語っています。
趣里さんの経歴は?
2013年、23歳の時に「おとぎ話みたい」に映画の主演に抜擢された趣里さん。
そして、2016年に25歳の時にNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」で注目を集め、演技力の高さも評価されて以降、話題作の連続ドラマや映画に立て続けに出演しています。
両親が大物俳優と女優であるにも関わらず、親の力を借りずに着実に演技力を磨いてきた成果が現れています。
そして2018年には映画「生きてるだけで、愛」で主演を務め(共演:菅田将暉)、その演技が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
さらに2023年にはNHK朝ドラ「ブギウギ」のヒロインに抜擢され、2471人の中からオーディションに合格しました。
趣里さんのバレエの経歴
趣里さんは中学卒業後、イギリスのバレエ学校「Arts Educational Schools」に留学しています。
この私立のバレエ学校は1939年に開校され、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主演、ジュリー・アンドリュースさんの母校としても知られています。
当時の夢はプロのバレリーナになることであり、より高度なレベルでクラシックバレエを学ぶためにイギリスへ向かったのです。
趣里さんはオーディションを受けて、英国ロンドンにあるArts Educational Schoolsという学校に入学しました。
授業は午前中に受け、午後にはバレエのレッスンを受けていました。
当時は寮生活をし、4人部屋で暮らしていました。
最初は英語がほとんど理解できなかったため、辞書を片手にルームメイトと会話していたとのことです。
しかし、気がつけば日常会話レベルの英語が話せるようになっていました。
最初はかなりホームシックになり、毎日、日本に電話してしまうことがあったそうですが、国際電話だったため、かなりの高額請求が発生してしまったそうです。
趣里さんはこの学校に15歳で入学しましたが、童顔だったためクラスメイトには12歳と思われていました。
また、英語力が不十分だったため、コミュニケーションに苦労したそうです。
校長から受けた言葉「あなたは、あなたらしく生きていけばいい」というエールは、現在でも彼女の仕事の支えになっているそうです。
留学2年目には、レッスン中に大けがをしてしまった経験もあります。
バレエを諦めた理由は?
趣里さんは中学卒業後にイギリスのバレエスクールのオーディションに合格し、16歳からロンドンでの生活を始めたそうです。
しかし、2年経ったある日、レッスン中に大けがをしてしまいました。
その原因は、ジャンプ時に変な方向に足を着地させたまま続けたことで、体に重大な負担がかかってしまったそうです。
最初は趣里さんは足首を捻挫したと考えていましたが、実際にはアキレス腱の破裂と剥離骨折など重傷だったことが判明しました。
彼女はインタビューで、
「身体がこんなにも傷つきやすく、瞬く間に突然消えてしまうことについて考えさせられた。」
と述べています。
このため、バレエ学校を中退し、落胆の中日本に帰国しました。
その後の進路
帰国後、趣里さんは高校に進学せず、高卒認定試験を受験して高校卒業資格を得ました。
趣里さんは次のように語っています。
「最初は自分を追い込んでいましたが、やがて生計を立てるためには仕事を見つけなければならないと考え、とりあえず大学に進学して勉強することにした。おそらく大学に進んで新たな道を開拓できるという漠然とした期待があったと思います。そのために勉強を始め、高卒認定試験を受験することになりました。」
当時、趣里さんは明確な将来のビジョンが持てず、「一応大学に進もう」と考え、高卒認定試験に挑戦しました。
合格後、予備校に通いつつ大学受験に臨みました。
当時、趣里さんは英語力を活かして将来的には空港のグランドホステスなどの仕事を考えていたとも話しています。
趣里さんの出身中学は?
趣里さんの学歴について、中学時代の出身校である桐朋女子中学校に注目したいです。
桐朋女子中学校は東京都に位置する私立の女子校で、1941年に開校し、「お嬢様学校」として知られています。
かつては比較的難関だった学校ですが、近年は偏差値が下がってきています。
趣里さんは出身校を明言していませんが、インターネットやツイッター上に在籍情報が複数見られることから、彼女がこの学校の出身である可能性が高いと考えられます。
中学生時代もバレエに打ち込んでおり、部活動などには参加していなかったようです。
インターナショナルスクールにも通っていた
中学2年生の頃から、海外でバレエを学ぶことを考えるようになった経緯についてお話しします。
趣里さんは、日本での生活が少し窮屈に感じられるようになり、外国に興味を抱くようになった時期だったようです。
「中2の頃から、海外に行けたらいいなと思う気持ちが芽生えていました。何かを変えたいと感じた時期でもありますね」
とおっしゃっています。
このため、中学卒業後にイギリスの高校に進学するために、インターナショナルスクールで英語を学んでいます。
趣里さんの幼少時代
出身小学校
趣里さんの出身小学校に注目してみましょう。
桐朋小学校は、私立の共学校であり、有名な学校です。
家族構成
ご家族は両親と趣里さんの3人家族で、趣里さんはひとりっ子です。
父親は俳優の水谷豊さんであり、母親は元「キャンディーズ」のメンバーであり女優の伊藤蘭さんです。
趣里さんが生まれた時、水谷さんは38歳、伊藤さんは35歳でした。
バレエを始めたきっかけ
4歳の頃から、趣里さんは世田谷区にある「井上バレエ団」でクラシックバレエを始めましたが、最初はあまり乗り気ではありませんでした。
友達の誘いがきっかけでバレエを始めたものの、友達は途中でやめてしまいました。
趣里さんは当初、バレエに馴染めず、レッスンに行くことも嫌だったと振り返っています。
「4歳の時にバレエを始めたんですけど、最初は馴染めずにレッスンに行くのも嫌だったのを覚えています。お友達に誘われて始めて、ただついて行っている感じでした」
と述べられています。
しかし、バレエに本格的に取り組み始めると、小学5年生の時にプロのバレリーナを目指す決意を固めました。
舞台で表現することに喜びを見出し、観客からの反応が幸せをもたらすことに気付いたためです。
井上バレエ団の名作「くるみ割り人形」の主演を務めた小学校6年生の頃から、趣里さんは卓越した才能を持ち、バレエによって鍛えられた精神力と体力は今でも役立っているそうです。
お父さんとお母さんは俳優と女優として活躍していますが、趣里さんは子供の頃は芸能界には興味を持っていませんでした。
趣里さんが小さな頃からよく観ていたのは、お母さんが所属していた「キャンディーズ」のDVDで、楽曲にも詳しいそうです。
女優デビュー後の下積み時代
女優としてデビューした後、下積みの厳しい時期が続きましたが、名前を出さず地道に演技を磨き、作品に出演する姿勢はとても根気強いものでした。
最近では話題作の連続ドラマや映画に出演する機会が増え、演技力の高さが注目されています。
大きな挫折を経験した経歴を持つ趣里さんからは、今後の更なる飛躍に期待が寄せられています。
趣里さんの両親である水谷豊さんと伊藤蘭さんとの関係にも注目が集まっています。
「親の七光り」を嫌っていた趣里さんは、デビュー当初から両親の名前を隠していました。
インタビューなどでも、親の名前を出すことを避けるようにしていたそうです。
しかし、趣里さんと両親との間には良好な関係があり、バレリーナを目指していた時も、女優として活動する今も、両親は趣里さんを支え、応援しています。
趣里さん自身もトーク番組などで、両親との関係が良好であることを公言しています。
芸能界では親の七光りを利用する例も少なくない中、趣里さんの姿勢には称賛の声が上がっています。
まとめ:趣里の実家と学歴!出身大学は明治学院大学、バレエの実績と両親との関係
水谷豊さんと伊藤蘭さんの大物夫婦から生まれた趣里さんは、バレエの夢を諦め、両親と同じ道を歩むことを選択しました。
現在、注目されているのは、親の名前だけでなく、その「演技力」が素晴らしいということです。
以下が彼女のプロフィールです。
- 名前:趣里(しゅり)
- 生年月日:1990年9月21日
- 身長:158㎝
- 血液型:O型
- 出身地:東京都
- 職業:女優
- 本名:水谷趣里
父親は俳優の水谷豊、母親は女優の伊藤蘭というご両親を持つ趣里さんは、次のような学歴を持っています。
- -出身大学:明治学院大学 文学部芸術学科(中退)
- – 出身高校:アーツ・エディケーション・スクール –
- 出身中学校:桐朋女子中学校 –
- 出身小学校:桐朋小学校
趣里さんのこれまでの経歴をまとめます。
1990年、東京都で誕生した趣里さん。
その後、4歳の頃にクラシックバレエを学ぶため「井上バレエ団」に入団しました。
そして、12歳のときには井上バレエ団の公演「くるみ割り人形」で主役を務めることとなりました。
19歳の時、演技力を磨くために「アクターズクリニック」のレッスンに参加しました。
21歳のときにはスペシャルドラマ「3年B組金八先生」で女優デビューを果たしました。
さらに、23歳のときには映画「おとぎ話みたい」で主演に抜擢され、26歳のときにはNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」に出演しました。
28歳のときには映画「生きてるだけで、愛」の主演に抜擢され、今後の2023年には33歳でNHKの朝ドラ「ブギウギ」においてヒロインを演じることが決定しています。
今後も趣里さんの活躍に期待したいと思います。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!