【木村昴の実家】父母は離婚し職業は音楽家!国籍ドイツと日本のハーフがスパルタ教育で気絶?

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木村昴の実家】父母は離婚し職業は音楽家!国籍ドイツと日本のハーフがスパルタ教育で気絶?

をタイトルにお伝えしたいと思います。

声優、俳優、ラッパーと幅広く活躍している木村昴さん。

人気テレビ番組『おはスタ』のメインMCも務めていますよね。

今回は、そんな木村昴さんの両親について、詳しくお伝えしましょう。

木村昴さんはどんな過程で育ったのでしょうか。

この記事でわかること:

木村昴はハーフ!国籍はどこ?

木村昴さんの両親は、ドイツ人の父と日本人の母です。

つまり、木村昴さんはハーフとして生まれました。

木村昴さんは7歳までドイツで過ごし、その後はずっと日本で生活しています。

木村昴さんの現在の国籍は日本です。

木村昴の本名がすごいと話題に!

木村昴さんの本名をご存知ですか?

彼の本名は「スバル・サミュエル・バーチュ」といいます。

現在の芸名である「木村昴」も本名ではありますが、「日本での通称名」としているそうです。

また、「(木村は)母の名前」と語っています。

「昴」という名前は、谷村新司さんの楽曲「昴 -すばる-」に由来していて、彼の祖母が命名したものなのです。

あおい

「昴」にも特別な思いが込められているんですね!

木村昴の妹は舞台女優!

木村昴さんには、妹がいます。

彼の妹の名前は木村飛鳥(きむら あすか)さんで、彼女はブロードウェイの舞台女優として活躍しています。

木村昴さんは妹と仲が良く、よくツーショット画像をインスタグラムで公開しています。

あおい

木村昴さんと飛鳥さんがとてもよく似てるのが写真から伝わってきます!

木村昴さんは、妹の木村飛鳥さんの活躍にも注目し、応援していると話していました。

あおい

また、朝起きるのが苦手な木村昴さんは、ニューヨークにいる飛鳥さんに毎日モーニングコールを頼んでいるんだとか。

木村昴の両親は離婚してる!

木村昴さんが『徹子の部屋』というテレビ番組に初めて出演した際、母子家庭で育ったことを明かしていました。

来日するまでは、父親、母親、妹の4人家族で暮らしていたようですが、現在は両親は離婚していると言われています。

あおい

ちなみに、『徹子の部屋』の出演した時、木村昴さんは『ドラえもん』のジャイアンの声で自己紹介。
得意のラップで感想を披露したところ黒柳徹子さんから感激の声が上がり、喜んでもらえたそうです。

木村昴さんは母親に対して深い感謝の気持ちを持っており、「母親への一番の親孝行は、自分が仕事で活躍する姿を見せることですね」と語っています。

木村昴の両親の職業はともに音楽家!

さらに、木村昴さんの父親と母親はともに音楽家の職業に就いています。

父親はオペラ歌手であり、母親は声楽家であるとのことです。

あおい

木村昴さんは超エリート音楽一家に生まれ育ったんですね!
子供の頃からスパルタ教育を受けていたとも言われています。

父親の経歴に注目すると、1984年から1985年にかけてヴィッテンベルク市エルベ・エルスター劇場と契約し、歌手やダンサーとして活動していました。

また、1987年から1991年まではライプチヒ・フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学に在籍しており、1991年には歌手国家試験に合格しました。

さらに、1990年から1997年にかけてはライプチヒ歌劇場で歌手として活動しています。

1997年に東京に拠点を移してからは、NHKラジオドイツ語講座の講師を務めていました。

そして、2017年には武蔵野音楽大学の准教授に就任しました。

木村昴さんは幼少期からバイオリンを習っていたとのことで、両親が演奏旅行やヨーロッパを周る際には常に同行していたそうです。

あおい

母親はいつか木村昴さんのオーケストラで歌うことが夢だったそうです。

そんな母の夢を小さい頃から聞かされていた木村昴さんは、かなりのプレッシャーだったかもしれませんね。

現在、木村昴さんの母親は飛鳥さんと共にニューヨークで生活しています。

画像出典元:Google画像検索

木村昴は両親の重圧とスパルタ教育を受けていた!気絶した過去も!

木村昴さんの父親はバイクや車、ロックンロールが好きで豪快な人柄だと言われています。

しかし、その一方で木村昴さんの子供の頃から自宅では常にクラシック音楽が流れていたとのことです。

あおい

このような環境で育ったため、木村昴さん自身もクラシック音楽が苦手で仕方なかったようです。

中学1年の時、そんなクラシック嫌いのせいで、木村昴さんは演奏会のステージ上で、バイオリンを弾きながら気絶してしまったそうです。

そして、レッスンの際にはバイオリンケースを開けただけで気を失ったこともありました。

テレビ番組「ダウンタウンなう」で、現在も同じようなことがあるのかと質問された時、木村昴さんは「すぐに倒れると思います(笑)」と答えています。

あおい

木村昴さん明るいキャラクターは、ロックンロールが好きで豪快な父親の血を受け継いだのかもしれませんね。

その後、木村昴さんは、音楽家になるプレッシャーを感じながら、ジャイアンの声優オーディションを受けました。

両親からのプレッシャーを避けるために、別の道に進もうとオーディションを受けたのかと思いきや、なんと理由は違うようです。

幼少期から目立ちたがり屋だった木村昴さん。

とにかく人気者になりたいという欲望が当時強かったそうです。

アニメ「ドラえもん」は非常に人気のあるマンガなので、オーディションに受かればクラス中の話題になると思ったんだとか。

あおい

確かに、落選してもクラス中の注目を浴びることは間違いないかも…。

木村昴の母親は?画像も公開!

木村昴さんの母親についても触れてみましょう。

2015年5月10日、木村昴さんは自身のTwitterで母親の誕生日を祝うツイートをしました。

母親の克美さんはとても優しそうな方で、スパルタのような母親とは思えませんね。

木村昴とオーディション結果!家族にも内緒だった!

ジャイアンの声優オーディションには約900人もの応募者がありました。

1次のテープ審査で8人に絞られ、2次のスタジオ審査に進んだ木村昴さんですが、26年間続いてきた「ドラえもん」を新しく自分が演じることに対して不安を感じていました。

木村昴さんは「ダウンタウンなう」に出演した際、当時のエピソードを明かしてくれています。

オーディションのスタッフから、「以前のジャイアンのものまねではなく、完全にオリジナルのジャイアンを作ってきてください」と言われた木村昴さん。

即座に頭の中で考え、マイクの前に立つと、スタジオを走りながら「待て~」とジャイアンのように叫んだそうです。

このアイデアが功を奏し、見事オーディションには合格できた木村昴さん。

しかし、スタッフからは「合格したことを家族含め、まだ誰にも言わないでください」と告げられてしまいます。

そのため、家族に対しては2週間ほど連絡が来ないふりでごまかし、クラスメイトからは「あいつは落ちたのか?」と察され、オーディションの合否について話すことができなくなりました。

あおい

そして、ジャイアンの声優を務め始めても、全く注目されなかった木村昴さん。
クラスでも想像してたようには盛り上がらなかったんだとか。
完全にタイミングを逃してしまったんですね。

木村昴のジャイアン声優の苦悩!母親は応援してくれた!

木村昴さんは、国民的キャラクターを担当したため、最初は世間から「新しいジャイアン」が受け入れられなかった日々が続きました。

あおい

「似ていない!」「違和感しかない」「絶対に観ない」「偽物」といった声が、木村昴さんを苦しめてたんですね……。

それに加えて、スタッフからは「ドラえもん中心の人生を送ってほしい」と言われ、女性関係やタバコ、お酒などが厳しく制限されました。

そんな厳しい日々を支えたのが母・克美さんでした。

木村昴さんの母親によると、木村昴さんは子供の頃からよく言うことを聞き、素直で手のかからない子だったそうです。

さらに、木村昴さんも母親を尊敬しており、反抗することはありませんでした。

かつて、一度だけ母親が学校に呼び出されるということがあったそうなんですが、その時に先生から言われたのは、「昴くんが教科書におっぱいの絵ばかり描くんです。家庭でも教育してください。」

しかし、母親は「どれ、見せてごらんなさい」「たいしたことないわ、上手に描けるのね」と返答しました。

この出来事が知られて恥ずかしかったかもしれませんが、木村昴さんは母親が自分をしっかりと守ってくれることを実感できたそうです。

あおい

ちょっと母親の返答が斜め上をいきました…。

さらに、ミュージカル「アニー」の時にも木村昴さんの両親は大いに応援してくれたそうです。

あおい

ジャイアンという国民的キャラクターの重圧は、両親の陰ながらの応援で支えられていたのですね!

2014年1月25日、木村昴さんは自身のTwitterで、母親と一緒に映画を鑑賞したことを報告しました。

画像出典元:Google画像検索

木村昴の父親は現在大学教授!

木村昴さんの父親であるヨズア・バルチュさんは、1990年から1997年まで「ライプツィヒ歌劇場」でオペラ歌手として活動していました。

1997年に引退した後は東京に拠点を移し、東京フィルハーモニー、新日本ハーモニー、東京交響楽団などの舞台やコンサートで、専門用語(ドイツ語)を教えながら、若手声楽家にドイツ語やラテン系言語の発声法を指導していました。

1998年以降、ヨズア・バルチュさんはNHKテレビやラジオのドイツ語講座に歌手や講師として出演し、2004年から2015年まで「友愛ドイツ・リート・コンクール」の審査員も務めました。

現在は武蔵野音楽大学の准教授として在籍しています。

武蔵野音楽大学のホームページには、指導陣紹介としてヨズア・バルチュさんの情報が掲載されています。

そして、2013年4月8日には、木村昴さん自身が父親の画像をTwitterに投稿しました。

左側に写っているのが、ロックバンド好きな父親であるヨズア・バルチュさんですが、確かにワイルドな印象ですね。

あおい

木村昴さんは父親と母親の離婚を経験しましたが、しっかりと愛情を受ていることがわかりますね。

2022年には「鎌倉殿の13人」で大河ドラマデビュー、2023年も大河ドラマ「どうする家康」に出演した木村昴さん。

あおい

NHKの大河ドラマに出演できれば、もう立派な一人前の俳優。
彼が大河ドラマに出演できたことで、家族全員がとても喜んだことでしょう。

木村昴の実家は?

木村昴さんの実家にも注目が集まっていますが、その場所は公開されていません

彼は7歳の時からずっと日本で生活してきたことを考えると、日本での生活に馴染んでいることがうかがえます。

木村昴さんは、小学校から大学まで東京の学校に通っていたので、おそらく都内の出身だと思われます。

木村昴のプロフィール!

本名:スバル・サミュエル・バーチュ

日本名:木村昴

誕生日:1990年6月29日

出身地:ドイツのザクセン州ブランケンブルク

血液型:O型

身長:183センチ

学歴:東京都立晴海総合高等学校卒業、亜細亜大学中退

木村昴さんは、父親がドイツ人で母親が日本人のハーフです。

木村昴さんはドイツで生まれて7歳の時に日本に移住しました。

母親の勧めで劇団日本児童に所属し、2002年にはミュージカル「アニー」でタップダンサーとして出演しました。

小学生の頃には羽賀研二さんに似ているとされ、ものまね番組「まねキン」にも出演してスタジオを沸かせました。

2005年には、たてかべ和也さんから初代ジャイアンの声優を引き継ぎ、アニメ「ドラえもん」で2代目ジャイアンの声を演じました。

それ以降も様々な映画やドラマで活躍し、ナレーションやラッパーとしても活動し、大物声優の道を歩んでいます。

さらに、2017年には音楽原作キャラクターラッププロジェクト「ヒプノシスマイク」のメンバーとしても活躍しています。

彼らのライブは即完売となるほど人気です。

2019年には第13回声優アワードで「ヒプノシスマイク」として歌唱賞を受賞しました。

まとめ

木村昴さんの両親、妹、実家についてみてきました。

木村昴さんはインタビューで「私は同じ道を進んで両親を超えることはできないため、親を超えるためにミュージカルの世界を目指すようになった」と明かしています。

これからも木村昴さんが進むべき道に真っ直ぐ進んでいくことを願いましょう!

あおい

最後まで読んでいただきましてありがとうございました!

この記事でわかること: