この記事は以下のような方々におすすめです。
・「三和銀行オンライン詐欺事件」の犯人である伊藤素子(いとう もとこ)と南敏之(みなみ としゆき)の現在の状況を知りたい方
・伊藤素子と南敏之の幼少期や生い立ちについて詳しく知りたい方
・伊藤素子が通っていた高校の情報を探している方
1981年3月25日に発生した「三和銀行オンライン詐欺事件」の犯人である伊藤素子と南敏之の現在の生活場所が気になりますよね。
調べた結果、伊藤素子は1948年に京都府で生まれ現在は滋賀県に住んでいる可能性があると言われています。
彼女の父親は高校教師であり、母親は華道の先生でした。
このような環境で育ち厳しいしつけを受けることになりましたが、両親からは溺愛され恵まれた生い立ちを送ることができました。
幼少期からおとなしい性格をしていた伊藤素子がなぜ横領犯罪に手を染めてしまったのか興味深いですね。
そこで今回は、「三和銀行オンライン詐欺事件」を振り返りながら伊藤素子について詳しく解説していきます。
伊藤素子と南敏之の現在
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伊藤素子と南敏之の現在の状況にも注目してみましょう。
日本における三大銀行巨額横領事件として知られるのは、1973年の「滋賀銀行9億円横領事件」、1975年の「足利銀行2億円横領事件」、そして1981年の「三和銀行オンライン詐欺事件」
これらの事件は金額に差はありますが、いずれも女性銀行員が男性に貢ぐパターンです。
また、これらの事件を元にした小説や映画ドラマも作られています。
松本清張の「黒革の手帳」や角田光代の「紙の月」もその一例です。
1981年に発生した「三和銀行オンライン詐欺事件」では、伊藤素子が当時勤務していた三和銀行茨木支店から1億8千万円を横領しました。
この犯行は、彼女が愛していた南敏之のために行ったものでした。
横領後、伊藤素子はフィリピンのマニラへ逃亡しましたが国際指名手配の3日後にマニラ入国管理局に逮捕され日本へ送還される途中で再逮捕されたのです。
一方、南敏之は大金を受け取った後イタリアへ行く予定でしたが意外にも伊藤素子を裏切り、家族と一緒に豪遊するために日本に留まりました。
しかし、彼もまた9月8日に逮捕されています。
その後の裁判では伊藤素子は懲役2年6ヶ月の判決を受け、南敏之は懲役5年の判決を言い渡され即座に刑が確定しました。
2人とも服役することになりましたが、模範囚だったため2年で仮釈放されます。
伊藤素子の現在はどうなっているかと言いうと当時32歳だったため存命であれば73歳になります。
一方、南敏之は当時35歳だったので、存命であれば現在は76歳になっています。(なお、南敏之は出所後、姓を村上に改名しました)
伊藤素子は出所後、大阪の本屋に就職したと聞かれています。
その後、41歳で広告代理店の男性と結婚しました。
現在では社長夫人となり、滋賀県のマンションで暮らしているとの噂もありますが、マスコミも彼女の行方を把握していないようです。
伊藤素子と南敏之の生い立ち
伊藤素子と南敏之の生い立ちについても少し触れておきましょう。
伊藤素子は1948年11月18日に京都府向日市で生まれ父親は高校教師、母親は華道家です。
兄弟には兄1人と姉3人がお理、若い頃から美人で物静かな性格でした。
友達と外で遊ぶよりも、家の中で静かに本を読むことが好きな子供だったそうです。
しかしこのおとなしい性格はとって厄介な短所で知らない人と話す際、緊張して体が震えるほどだったそうです。
一方、南敏之の生い立ちについては詳しくは触れられていませんがシンガーソングライターであるみなみらんぼうという人物と従兄弟関係にあったことが分かっています。
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伊藤素子より3歳上で、1945年に生まれました。
立正大学を1970年3月に卒業後、東急観光株式会社に入社。
そして、1972年に寺院の娘と結婚しています。
1974年の終わりには東急観光株式会社を退社し、その後に妻の実家所有となっている大阪府茨木市内の霊苑管理事務所の専務取締役に就任しました。
1975年からは友人からの依頼を受け、フィリピンのマニラ市にあった「エアーアンドカーゴトラベルコーポレーション」という旅行案内業を引き継ぎました。
また、政治家の秘書も務めた経験があるようです。
伊藤素子の高校時代
京都市西京区にある明徳商業高校(現在の京都明徳高校)を卒業しました。
卒業生には、漫才師の今いくよ・くるよさんもいます。
1967年に明徳商業高校を卒業した後、彼女は三和銀行茨木支店に就職しました。
当時は、はっきりとした特徴的な顔立ちを持つ美人で男性からモテていたようです。
ただし、彼女は内向的な性格でもあり滅多に男性と遊ぶことはありませんでした。
さらに彼女は男性に対して特定の条件を求めていたようです。
その条件はルックスでした。
彼女はかなりの容姿にうるさく、プロポーションにも厳しい基準を持っていたと言われています。
しかし、20歳の時にある男性と出会います。
当時、その男性は29歳で彼女が勤務する三和銀行茨木支店に出入りしていたサラリーマンでした。
しかも、この男性は非常にハンサムで彼女の好みのタイプで妻子持ちにも関わらず肉体関係を持ってしまいました。
結局そのサラリーマンとの関係は12年間も続きその間、男は「妻とは必ず離婚するから、俺を信じて待っていてくれ」という言葉を伝えたと言われています。
不倫関係中で伊藤素子は男性の子供を身ごもり、中絶することもありました。
それでも将来の結婚を夢見て待ち続けましたが、その男性は妻と別れることを選ばなかったのです。
裏切られ続け32歳になった時、新たな男性が現れました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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