【吉川晃司の学歴と実家】出身高校は修道高校で大学は?先祖は吉川元春で水球がやばい!をタイトルにお伝えしたいと思います。
吉川晃司さんは、音楽家であり俳優でもありますが、実は歴史的な人物の子孫だと言われています。
彼がどのような家庭で育ち、どの学校に通っていたのかについて、詳しく調べてみました。
また、吉川晃司さんの出身学校の偏差値などもお伝えいたします。
吉川晃司の学生時代
吉川晃司さんは学生時代、水球に打ち込んでいたことが分かりました。
高校時代には日本代表にも選ばれた経験があります。
このあと、彼の学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコいい写真なども、紹介しますね。
吉川晃司の先祖とは
吉川晃司さんの先祖が吉川元春であることにも注目してみましょう。
吉川晃司さんは、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将・吉川元春の子孫だと言われています。
吉川元春は毛利元就の次男であり、つまり吉川晃司さんは毛利元就の血を引いているということになります。
2009年に放送された大河ドラマ『天地人』では、吉川晃司さんが織田信長を演じ、話題となりました。
吉川晃司の出自
以下はプロフィールです。
吉川晃司(きっかわ こうじ)は、1965年8月18日に生まれた日本のミュージシャン兼俳優です。
彼の身長は182㎝で、血液型はB型です。
吉川晃司は広島県府中町出身で、学歴は以下の通りです。
出身大学:進学せず
出身高校:修道高校
出身中学校:修道中学校
出身小学校:府中町立府中小学校
吉川晃司さんの実家や生い立ちにも注目してみましょう。
彼は広島県安芸郡府中町出身です。
現在の実家の場所は公表されていませんが、かつて吉川晃司さんの祖母が料亭『吉川旅館』を中島地区という中国地方屈指の繁華街で経営していました。
しかし、戦況が悪化したため、船本家に旅館を売却し、原爆投下の1か月前に疎開して難を逃れました。
ただし、投下直後に吉川晃司さんの父親が入市したため、「入市被爆」として認定され、彼自身も被爆二世となります。
吉川晃司さんの幼少期は、千葉真一さんや倉田保昭さんの大ファンで、彼らを尊敬していました。
そして高校生の時に自らプロダクションに売り込み、いくつかのオーディションを経て芸能界入りを果たしました。
吉川晃司の父親はどんな人?
吉川晃司さんのお父さんにも注目してみましょう。
彼は一般人です。
吉川晃司さんのお父さんは若い頃、京都太秦で大部屋俳優として活動していました。
しかし、家業を継ぐために俳優を諦め、板前になりました。
ところが、店が火事になり廃業してしまいました。
その後は、喫茶店の経営やタクシー運転手、管理職など、様々な職業を転々としてきました。
吉川晃司の母親はどんな人?
吉川晃司さんが芸能界入りする際、吉川さんの母親の存在に注目したいと思いますが、実は彼のお母さんも一般の方です。
彼女に関する情報はほとんど公開されておらず、詳細はわかりません。
吉川晃司の兄弟姉妹は?
また、吉川晃司さんの兄弟姉妹についても注目したいと思いますが、彼にはお姉さんがいます。
しかし、彼女も一般の方で芸能活動は行っていないため、情報はありません。
吉川晃司の学歴は?
学歴についても詳しく調べました。
高校時代
吉川晃司さんは修道高校という広島県内の私立男子校に通っていましたが、中退しています。
修道高校は歴史ある藩校の流れをくむ名門校で、政財界に多くの人材を輩出していることで知られています。
吉川さんが在籍した当時は既に進学校としての評価が高く、偏差値も70という超難関校でした。
高校時代、吉川さんは水球部に所属しており、熱心に活動していました。
水球部では夏場には1日14時間もプールに入っていることもあったそうです。
彼は水球部のエースであり、世界ジュニア水球選手権の日本代表にも選ばれました。
また、2年連続で全国日本高校最優秀選手にも選ばれるなど、その実力は非常に高かったのです。
ただし、海外遠征で海外の選手と対面した際には少し戸惑ってしまったようです。
吉川さんはインタビューで以下のように話しています。
「海外の選手に対して自信を持てず、緊張してしまいました。
その時は自分の実力に自信を持つことが大切だと痛感しました」
外国では、体重が100キロの選手がたくさん存在します。
彼らは、吉川晃司さんの元プロレスラーで親友の前田日明さんを背負って水の上で受けるような大きさとパワーがあります。
吉川さんは前田7人分の重さを感じ、驚きました。
これは想像を超えたものですよね。
彼はこれによって、世界との実力差に絶望し、五輪に出場する夢を諦めました。
また同時に、水球の道を進むことも諦めました。
高校時代、彼は水球に熱中しており、そのため学校の成績はあまりよくありませんでした。
また、高校生の頃は、アマチュアバンド「はまちバンド」を結成して活動していました。
当時の広島市内では人気のバンドでした。
しかし、メンバー間の音楽性の違いが目立ち、次第に人気が低下していきました。
そして、佐野元春さんのコンサートを観て衝撃を受け、音楽の道で成功を目指すことを決意しました。
そのため、慶応大学の特待生として水球の道が一つ開かれましたが、彼は高校2年生で慶応大学を中退し、渡辺プロダクションに入所しました。
当初はスカウトを待っていましたが、地方都市に住んでいたため、そう簡単にスカウトされることはないと考え、自ら活動を売り込みました。
また、渡辺プロダクションを選んだのは、当時売れていたアン・ルイスさんの影響でした。
吉川さんは当時、音楽の道よりも五輪の方が難しいと感じていました。
彼はインタビューで次のように話しています。
「五輪に出場するなんて、厚かましい夢は持っていません。
無理だと思ってやめたんです。
語弊があるかもしれませんが、音楽と五輪のすごい人なら、五輪の方がすごいと思ってしまうところはありますね。」
彼は音楽の道に集中する際に、両親や高校の教師、周囲の人々から反対されました。
そのため、大学には進学していません。
ちなみに、芸能界デビュー後でも、仕事がうまくいかない時には広島に戻り、高校のプールをこっそり訪れることがあったそうです。
彼はインタビューで次のように話しています。
「症状がひどい時、夜中に海パンを持ち込んでこっそりと泳ぎに来ることがありました。
ここに来ると、辛い思いを水に流し、また仕事に戻ることができたのです。
100回ほど来たことがあると思います。」
吉川さんは学校での経験について、
「ここで学んだり、仲間と切磋琢磨したことが私の基盤となり、私の血となっています。私にとっては母のようなものです」
と話しています。
吉川さんは高校を中退した後、上京し、18歳の時(1984年2月)に「モニカ」という曲で歌手デビューしました。
当時、所属している事務所の渡辺プロダクションは彼を「10年に1度の逸材」と評価し、プロモーションに全力を注いでいます。
すると、彼の楽曲は突如ヒットし、一躍人気歌手になりました。
さらに1988年には布袋寅泰さんと「COMPLEX」というユニットを結成し、こちらでも大人気となりました。
音楽活動以外でも俳優としても活躍し、数々の話題作のテレビドラマや映画に出演しています。
現在、吉川さんは既に50歳を超えていますが、まだまだ精力的に活動しています。
今後の活動も楽しみですね。
中学時代
同様に、吉川晃司さんの出身中学校についても注目したいと思います。
彼の出身中学校は広島県にある修道中学校という私立の男子校です。
この中学校は、高校に併設されている系列校で、彼は内部進学して高校に進みました。
彼は中学受験でこの中学校に入学し、高い学力を持っていました。
ちなみに、彼がこの中学校を受験した理由については、「制服の袖の部分に1本の白い線があって、それがかっこよかったから」と述べています。
吉川さんは元々サッカーをやっていましたが、ある日の暑い日プールがキラキラと輝いて見え、プールに浸かっていたところを主将に見られたそうです。
そしてその主将により彼は水球部に半ば強制的に入部させられたそうです。
小学校時代
また、吉川晃司さんの学歴を詳しく調べてみると、彼は広島県府中町にある公立の小学校、府中小学校に通っていました。
彼の家族は両親と姉の4人家族で、父親は板前でした。
幼い頃から彼は父親から料理を教わっていました。
そして父親からはいつも「何事でも一番を目指せ」と言われていたので、喧嘩で負けて帰ってくると家に入れてもらえないこともあったそうです。
吉川さんは子供の頃から少林寺拳法を習っていたようです。
また、彼はカープのファンでもあり、小学校の時期にはカープの帽子をかぶって登校していたそうです。
以上が吉川晃司さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
吉川晃司さんはデビュー曲が大ヒットし、1980年代や90年代を代表するミュージシャンとして成功しました。
現在でも音楽活動を精力的に行っているだけでなく、俳優としてもドラマや映画に出演しています。
今後も彼の活躍が期待されます。
まとめ:【吉川晃司の実家と学歴】出身高校は修道高校で大学は?
吉川晃司さんは高校時代には水泳選手として活躍していましたが、音楽の道を選ぶために水泳も学校も辞めてしまいました。
しかし、彼がその選択をしたからこそ、後にミュージシャンとして成功することができたのだと思います。
そして今では俳優としても活躍しています。
彼の努力と決断力はとても素晴らしいです。
今後も吉川晃司さんの活躍から目を離すことはできません。
彼の才能には期待が高まりますね。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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