【造田博の現在】まだ?池袋通り魔犯が死刑執行されない理由と最悪な両親との生い立ちを網羅!をタイトルにお伝えしたいと思います。
1999年9月8日に発生した池袋通り魔殺人事件の犯人である造田博は、2002年に死刑判決が確定しました。
しかし、なぜ現在まで死刑が執行されていないのか、気になりますよね。
今回は、その理由や造田博の生い立ち、そして事件前後の衝撃的なエピソードについて詳しく説明いたします。
造田博に死刑が執行されない理由は体調不良
造田博の死刑執行がされない理由を探るために、まず注目すべきは彼の体調不良です。
死刑が執行される際には、心身ともに健康であることが求められます。
死刑執行は法務大臣の命令によって行われるため、本人の体調が優れない場合には中止されることもあります。
実際に、造田博の死刑執行が停止されている可能性があるという話もあります。
彼が心神喪失状態であるとされているため、執行は中止されているのかもしれません。
事実として造田博は事件数年前からいくつかの公的機関に支離滅裂な手紙を送っていたとされており、これは彼が統合失調症の症状を示していた可能性があることを示唆しています。
健康でないと死刑執行できないなんて知らなかったです!
造田博は廃人になった?造田博の現在は?!
現在の造田博は、健康とは言い難いほど廃人のような状態で日々を過ごしているようです。
造田博は、ほとんど話さずに過ごし、食事やトイレ以外ではほとんど動かない人物です。
彼は死刑囚として個室で一人で食事をとりますが、トイレには流さず、着替えもしませんので、彼のシャツは黄ばみ、異臭がひどくなります。
彼が本当に「心神喪失の状態」なのかは確かめることはできませんが、彼がこのような状況にある限り、死刑執行は延期される可能性が高いと言えます。
死刑判決後執行までの期間は通常6か月だが…
死刑判決から執行までの期間は通常、6か月です。
刑事訴訟法第475条では、「死刑の執行は法務大臣の命令による」とされ、「判決確定から6カ月以内に執行しなければならない」とされています。
しかし、「訓示規定」として存在し、強制力はないようです。
この執行までの期間が長くなりすぎるという問題が、法務大臣と記者の間でもしばしば論争の的になっています。
池袋通り魔殺人事件も例外ではありません。
被害者の遺族も、死刑が執行されないことに対する憤りを「全国犯罪被害者の会」で吐露していました。
死刑執行されない理由・現在
精神疾患による影響があったという主張をする弁護側の意見もある一方で、事件前の彼の対人関係に特段の問題はなかったという事実や、事件の計画性と残忍さから、2007年4月29日には最高裁で死刑が確定しました。
そして現在、事件から20年以上が経過してもなお、造田博の死刑が執行されていないことに、憤りの声や疑問の声が遺族から上がっています。
これまでの経過を踏まえると、造田博の死刑が執行されていない理由は、造田の心身の健康状態に起因している可能性が高いと考えられます。
犯罪が重大であることに疑いの余地はありませんが、法律によって死刑の執行は厳格な条件が設けられており、心神喪失状態である場合には執行が中止されることもあるのです。
今後も、造田博の死刑執行がいつ行われるのかは分かりません。
しかし、この事件の被害者や遺族にとっては、なおもこの事件が解決することを望む声が多くあります。
事件の背景や当時の状況、そして造田博の未来について、引き続き関心が寄せられることでしょう。
【衝撃】造田博の生い立ちとは?両親が最悪すぎる?
一部では、造田博が犯罪に手を染めた背景には、彼の家庭環境が関係しているとも言われています。
特に両親が彼に与えたであろう苦痛は、彼の思春期の人格形成に大きな影響を与えた可能性があります。
造田博のプロフィール
では、造田博の困難とされる生い立ちを見ていきましょう。
プロフィールについては、以下の通りです。
名前:造田 博(ぞうだ ひろし)
生年月日:1975年11月29日(現在は47歳)
出身地:岡山県倉敷市
家族構成:両親と4歳年上の兄の4人家族
最終学歴:県立倉敷天城高校(中退)
父親は大工で、母親は被服工場にて下請けの縫製ミシン内職をしていました。
幼少期はそれなりに経済的に恵まれた家庭だったようです。
しかし父の土地の売却や両親のギャンブル依存症などの要因により、彼の家族は経済的に困窮しました。
最悪な造田博の両親!大金を獲得後に造田家に起こった悲劇とは?
代々造田の父方は兼業農家をしており、祖父が亡くなるタイミングで父親は土地を相続しました。
造田博が小学校高学年のころ、父は相続した土地を売ったことで大金を手にしたそうです。
次第に父は体調不良を理由に仕事を休みがちになり、それは目の前の大金を目にして金銭感覚が狂ってしまったせいなのかもしれません。
以後、両親ともにパチンコからパチスロ、競輪、競艇などのギャンブルにのめり込み、この頃から闇金にも手を出し始めます。
そしてついには造田の両親は借金を残し失踪してしまいました。
そのため造田は取り立てに来る借金取りに怯えながら生活しなければなりませんでした。
高校を中退せざるを得なくなり、兄が大学に進学して家を出ていたため、一人で困難な状況に立たされました。
想像するだけでも恐ろしいです…
造田博は高校を中退後、兄を訪ねた?
高校卒業を強制的に迎え、大学進学の夢も絶たれた造田博は、両親の失踪後約2か月後に広島県福山市で兄が一人暮らしをしている家に身を寄せます。
彼はパチンコ店で住み込みで働き始めますが、長続きせず、それ以降はさまざまな職場を転々とすることになります。
彼の仕事には、弁当屋のアルバイト、造船所での船舶塗装、京都の染色工場、自動車部品工、住宅美装といった土木系の仕事が含まれていました。
また、彼が池袋通り魔殺人事件の発生時に勤務していた東京都足立区の新聞販売店までには、なんと14回も転職を繰り返していたそうです。
高校生である彼が突然学校生活を終わらせられ、進学の道を断たれ、働かざるを得なくなることがいかに厳しい状況であったか、想像できますね。
彼の兄は、弟が転職するたびに彼を励まし続けましたが、次第に造田はますます気落ちして自分の世界に閉じこもってしまったと言われています。
両親が一時的に兄のもとにいたが再び姿を消してしまったという噂もありますが、真相は不明です。
高校中退して働くって大変だったでしょうね…
造田博の衝撃的なエピソード4選!
造田博の衝撃的なエピソードに注目してみましょう。
池袋通り魔殺人事件の前から、造田博は異常な行動をとっていました。
お金や異性に対する執着心が見受けられる奇行もあり、事件の兆候が見えていたとも言えます。
池袋通り魔殺人事件を含む特に衝撃的なエピソードを4つ紹介します。
①万引きを繰り返す
福山で兄のもとにいた頃、造田博は万引きや無賃乗車を繰り返していました。
発覚するたびにお兄さんが謝罪に行き、被害の補償を行っていましたが、転職を繰り返してお金に困っていた造田博は、所持金が尽きるたびに繰り返すようになりました。
彼の万引きの中にはナイフの窃盗も含まれていて、刃物を携帯することによる銃刀法違反で罰金を支払うこともありましたが、兄が罰金を立て替えたようです。
②好きな子へのストーカー
造田博は小学校時代の同級生である女性に好意を抱き、ストーキングのような行動に走っていました。
1996年頃に受けた仕事の面接では、造田博さんは「彼女との結婚資金を貯めたい」と話していたそうですが、彼女とは在学中も卒業後もほとんど会話をしたことがありませんでした。
それでも彼は彼女に電話や手紙を送り続けましたが、時には彼女の自宅に押しかけて父親に追い返されることもあったようです。
現在だったらストーカー規制法に違反している可能性がありますね。
彼がアメリカへ渡航した理由についても、彼女がシアトルに行っていたからだという噂もありますが、結局会うことは叶わず、絶望し自暴自棄になり、日本の領事館に保護されたという説もあります。
③意味不明な手紙を兄に送る
造田博は池袋通り魔殺人事件の約2年前から、衆議院や裁判所、在日外国大使館や官公庁などにおかしな内容の手紙を送っていました。
これらの手紙はただの悪ふざけにしか見えないものでしたが、外務省だけがこれを保管し、捜査の証拠として使用されました。
さらに、兄が造田博さんを守ってくれていたことに対しても不可解な手紙を送っています。
これらの手紙はすべて造田博さんの妄想の世界から生まれたものですが、異常な精神状態が見て取れますね。
④池袋通り魔殺人事件
この事件は、造田博さんが1999年9月8日の11時35分ごろ、池袋駅近くの東急ハンズ池袋店前(現在はニトリ)周辺で起こした無差別の殺傷事件です。
女性2人が死亡し、6人が重軽傷を負いました。
買い物客や通行人に対して突然襲い掛かる通り魔殺人は前代未聞のものであり、当時大きな衝撃を与えました。
詳細については別の記事でまとめられているので、ぜひ合わせてご覧ください。
まとめ
この記事をまとめると、なぜ造田博さんの死刑が執行されないのか、それは健康上の問題が理由です。
池袋通り魔殺人事件は、造田博の不幸な家庭環境から生じた可能性が高いとされていますが、彼の健康状態のために死刑が執行されないのは、法律に基づいているとも言えます。
彼の過酷な生い立ちを思えば同情する余地はありませんが、造田博さんが死刑囚としてどのような未来を迎えるのか、これからの動向にも目が離せませんね。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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