【安田顕の出身高校・大学】牛乳リバースが話題?若い頃がかっこいい!生い立ちや経歴プロフを網羅!をタイトルにお伝えしたいと思います。
演劇ユニット「TEAM NACS」の一員である安田顕さんは、俳優として幅広いドラマや映画などに出演しています。
学歴に関しては、安田さんの出身高校や大学の偏差値などが記載されています。
安田さんは「TEAM NACS」のメンバーとして活躍していますが、学生時代の生活にも興味がありますよね。
そこで、学生時代のエピソードや情報、若い頃の写真なども一緒にご紹介しましょう。
また、安田さんが出演した番組で話題になった「牛乳リバース」とは何か、気になりますね。
安田顕さんの経歴や出身校、そして「牛乳リバース」に関して調査してみました。
特に、安田さんの若い頃の魅力に注目してみましょう。
安田顕は若い頃からイケメンだった!
ネット上では、若い頃の安田さんが「カッコイイ!」と話題になっています。
現在は黒髪で落ち着いた大人の雰囲気を感じさせる安田さんですが、若い頃は髪を染めて長髪で、イメージが異なることもありますよね。
若い頃も今も、とても素敵な男性であると思います。
安田顕の「伝説の牛乳リバース」とは?
安田顕さんについて調べてみると、「牛乳リバース」という言葉が頻出します。
これは、安田さんが出演していた番組である『水曜どうでしょう』や『ハナタレナックス』で、度々牛乳の早飲みを披露して話題になっていたものでした。
安田さんは牛乳の早飲みを得意としている一方で、番組の対決で飲んだ牛乳をリバースしてしまうことが多く、それがネタにされてしまっていたのです。
現在は番組で披露することはないですが、以前の放送が再放送などで繰り返しオンエアされるため、安田さんは「何年経っても牛乳リバースが放送されている」と少し不満を感じているようです。
面白くてインパクトのある特技ですね!
安田顕のプロフィール・経歴
以下が安田顕さんのプロフィールや経歴に関する情報です。
安田顕さんは、1973年12月8日に北海道で生まれました。
CREATIVE OFFICE CUEという芸能プロダクションに1993年に加入し、タレント活動を始めました。
身長は173cmで、血液型はA型です。
睡眠をとることが趣味で、牛乳の早飲みが特技です。
安田さんは大泉洋さん、戸次重幸さん、音尾琢真さん、森崎博之さんと共に、1996年に演劇ユニット「TEAM NACS」を結成しました。
彼は大学を卒業後、総合病院の歯科で医療事務員として働くものの、職場に馴染めず芸能活動に専念するために退職しました。
その後、彼は芸能活動と並行してホテルの朝食バイキングなどのアルバイトをしていました。
1997年、森崎博之さんが東京から北海道に戻ることをきっかけに、「TEAM NACS」は再結成され、活動を再開しました。
翌年、安田さんが所属していた「OOPARTS」が完全に消滅し、彼は劇団「upspeak」を主宰することとなりました。
この劇団では、出演だけでなく、作品の制作や演出も行いながら活動し、2003年まで続けました。
また、安田さんはテレビ番組『水曜どうでしょう』に準レギュラーとして出演し、その他にも幅広い活動を展開しました。
2004年には舞台『TEAM NACS 第10回公演「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」』で東京に初進出し、2006年には『次郎長 背負い富士』という全国ネットの連続ドラマに初出演しました。
それ以降、彼は『下町ロケット』やNHK連続テレビ小説『なつぞら』、映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』など、多数のドラマや映画に出演しています。
安田顕さんの生い立ち&家族構成
安田顕さんの生い立ちと家族構成についても触れておきたいです。
安田さんは両親と2歳年上の兄という4人家族で育ちました。
父親は溶接工、母親は保険のセールスをしている共働きの家庭でした。
そのため、小学校の時は帰宅しても家には誰もおらず、とても寂しい思いをしていました。
インタビューで彼は頻繁に母親の勤務先に電話をしていたことを話しています。
「小学校の1、2年生の頃は、学校から帰っても家に誰もいないから寂しくて、母ちゃんの勤める会社へよく電話してました。0143の22の〇×〇×って。今は知り合いの電話番号もわからないのに、この番号だけは覚えています」と述べています。
彼が子供の頃には、意外なことにボーっとしていて、寝ることが好きだったそうです。
安田顕の学歴
安田顕の学歴に注目してみましょう。
彼が通っていた学校と、あの有名な劇団サークルについて調べました。
安田顕の出身中学校
彼の出身中学校に注目です。
彼は室蘭市立港南中学校を卒業しました。
この学校は2013年に室蘭市立北辰中学校と統合され、その後解体され、現在は室蘭市立みなと小学校となっています。
彼は中学時代、柔道部に所属していました。
きっかけは、2年生の時に好きな子ができ、ある日その子が廊下を走っている柔道部員をスッと振り返って見ていたのを勘違いして「あ、柔道が好きなんだ!」と思ったからなのだそうです。
入部のきっかけがとても純粋で素敵ですね…
安田顕の出身高校
また、彼の出身高校にも注目しましょう。
中学卒業後、彼は室蘭栄高等学校に進学しました。
この高校は、北海道にある室蘭栄高校で、偏差値は58(中の上)です。
室蘭栄高校は、地元では古くから進学校として知られており、多くの文化人や学者を輩出してきました。
高校時代、彼は柔道部に所属し、部活動に熱心に取り組んでいました。
2年生の時には黒帯も取得しています。
また、ジョン・レノンに憧れていた彼は、丸メガネをかけていました。
さらに、彼は高校時代にバンドを結成し、音楽活動を行っていました。
彼らは学園祭にも出演しました。
ちなみに、彼はバンドでギターを担当していました。
安田さんは過去に映画の試写会でフラれるという出来事を公表しています。
当時の彼は高校生で、雪の降るクリスマスの夜に好きな女子の家の前の公衆電話から映画に誘いの電話をかけたのですが、彼は断られてしまいました。
その後、帰り道の雪がとても冷たく感じました。
安田さん自身は不器用で、女性との会話が苦手だったと語っています。
さらに、安田さんは高校時代に中学生の頃から好きな女子がバスで現れたが彼女が友達と一緒だったため声をかけることができなかったというエピソードも披露しています。
女子はバスを降りていったが、安田さんは彼女の後ろ姿にニコっと笑って手を振りました。
しかし、別の女友達にその様子を目撃され、「気持ち悪い」と言われて以来、その女友達とは口も聞いてもらえなくなってしまったそうです。
安田顕の出身大学
ちなみに、安田さんは高校卒業後、東京の大学を第一志望としていましたが、残念ながら不合格となりました。
そのため、滑り止めとして北海学園大学に進学しました。
安田さんの出身大学は北海学園大学経営学部で、偏差値は50(普通)でした。
彼は進学校に通っており、家庭の経済状況もそれほど苦しくなかったため、大学進学は当然の選択だったと述べています。
ただし、彼の第一志望は国立大学の北海道教育大学釧路校でしたが、試験当日に胃痙攣を起こしてしまい、受験することができませんでした。
このことから、当初は教員志望だったのかもしれません。
大学進学後、安田さんは4畳半の賄い付きの下宿に住んでいました。
トイレは共同利用で、風呂は週に2回しか入ることができませんでした。
大学では最初にジャズ研究会に入りましたが、雰囲気が合わなかったため、その後はグリークラブや英語研究会に所属しました。
最終的に、演劇研究会に入ることになりました。
ただし、私が演劇研究会に入会したのは偶然で、当時は役者になるつもりはありませんでした。
私は大学のサークルの模擬店で、隣の演劇部が騒々しくて楽しそうだったので、暗い性格の私も明るくなれるかもしれないという思いで入会しました。
しかし、結局は元のままでした。
俳優になるきっかけとなった運命の出会い
当時の安田さんには役者になりたいという強い思いはありませんでした。
「私が海賊王になる!」とかそんな風に思ったこともありませんでした。
そんな安田さんには、運命的な出会いがありました。
それはTEAM NACSのリーダーを務める森﨑博之さんとの出会いです。
彼は演劇研究会の先輩でした。
そして1年後には戸次重幸さん、2年後には大泉洋さんも演劇研究会に入会しました。
安田さんと大泉さん、戸次さんは年齢は同じですが、安田さんは大学に現役で入学し、戸次さんは1年浪人、大泉さんは2年浪人したため、学年が異なります。
音尾琢真さんは2つ学年下です(年齢は3歳下)。
ただし大学に現役で入学したため、大泉さんと一緒に演劇研究会に入会しました。
また、2つ学年上の森﨑さんは大学時代に2年間留年していたため、安田さんと同じ年に卒業しています。
さらに、森﨑さんが演劇研究会の会長を務めていた時は、他の部員たちと上手く行かないことがありました。
そのため、安田さんが度々仲裁に入って調整していました。
また、大学時代の安田さんは、演劇研究会での活動とは別に鈴井貴之さん主宰の劇団「OOPRTS」にも参加して舞台に立っていました。
そして、1996年3月、安田さんが大学卒業直前に、森﨑さん、大泉洋さん、戸次重幸さん、音尾琢真さんと共に演劇ユニット「TEAM NACS」を立ち上げ、1回だけ舞台を開催しました。
なお、「TEAM NACS」は安田さんと森﨑さんの卒業記念のために、一度限りのユニットとして結成されました。
安田さんと森崎さんの就職により、「TEAM NACS」は一時解散しました。
大泉さんは安田さんが大学を卒業したときに述べたインタビューで次のように語りました。
「安田も森崎も卒業して脱退するというのは、私にとって非常に大きな出来事です。
その次の年から私は演劇研究会の会長になりましたが、やはり非常に不安でした。
森崎さんの指導力やリーダーシップは非常に大きかったですし、安田さんは実行部隊のような人でした。
『他の人に教えるなら、私がやる』という感じで、黙って何でもやっていく感じでした。」
安田顕の大学卒業後
なお、安田さんは大学卒業後、北海道旭川市の歯科医院で事務職として働くことになりました。
しかし、なかなか馴染むことができず、8か月後には歯科医院を辞めて札幌市に戻ってきました。
「医療事務をしていましたが、8か月で辞めたので、していたと公言するのもはばかられます。
まあ、私はダメな社会人でしたね。今もダメですけれど(笑)」
また、リーダーの森崎さんも9か月後に会社を辞めて北海道に戻ってきたため、「TEAM NACS」は再結成されました。
さらに、大泉洋さんは「水曜どうでしょう」に出演して、ローカルタレントとして人気を博し始め、安田さんについても25歳の頃からこの番組に出演し、準レギュラーとして活躍するようになりました。
その後、33歳のときに本格的にテレビドラマに進出し、多くの作品に出演し、人気俳優となりました。
なお、安田さんは2002年に一般女性と結婚し、2004年には娘さんも生まれていますが、奥さんとは大学時代からお付き合いしていました。
まとめ
安田顕さんはインタビューで「オファーが来たものは全部やりたい」と述べており、多くのドラマや映画に出演していることが紹介されています。
現在の状況では、TEAM NACSという演劇ユニットは非常に人気が高くなり、チケットを入手することが非常に困難になっています。
彼らは個性的な脇役俳優としても知られており、NHKの朝ドラや大河ドラマを含むさまざまなドラマや映画にも出演しています。
彼らの価値あるサポート役としての演技は光り輝いており、時にはその独特な演技スタイルが注目を浴びます。
これからも長く活動していくことが期待されています。
私たちは安田顕さんの活躍をこれからも応援していきたいと考えています。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!