中山雄太選手の生い立ちや幼少期から中学・高校エピソード・プロでの活躍など経歴プロフィールを網羅!をタイトルにお伝えしたいと思います。
中山雄太選手は、ワールドカップ代表メンバーにも選ばれた左サイドバックですが、直前に怪我を負ってしまい、出場することができませんでした。
彼は東京オリンピックにも出場し、将来の日本代表を担うことが期待されています。
そこで、ここでは中山雄太選手の生い立ちや経歴について
詳しく紹介していきたいと思います
中山雄太選手の経歴プロフィール
中山雄太選手は、茨城県の龍ヶ崎市で生まれました。
幼少期からサッカー開始
サッカーをしていた兄と姉から影響を受け、彼も4歳の時にサッカーを始めました。
彼はとても負けず嫌いな性格だったそうで、兄や姉に勝ちたいという気持ちでどんどん上達していったのでしょう。
小学校時代の才能とリーダーシップ
中山雄太選手は、龍ヶ崎市の北文間小学校で6年間を過ごしました。
彼はキャプテンとしてチームを引っ張り、サッカーの技術は他の生徒たちと比べても優れていたようです。
5年生の時には茨城県の選抜メンバーにも選ばれた経験がありますが、県の代表チームには選ばれませんでした。
それでも彼はがっかりする様子もなく、サッカーを純粋に楽しんでいたようです。
また、彼はサッカー以外でも6年間ピアノを習っていました。
中学校時代の挑戦
中山雄太選手は中学校も龍ヶ崎市にある愛宕中学校に進学しました。
彼はさらなる成長のために新たなチャレンジをしました。
中山雄太選手は学校のサッカー部に所属していました。
彼は穏やかな性格で、周囲を見ながら冷静に状況を判断できる選手として評価されていました。
彼はチームのキャプテンでもあり、ミッドフィールダーのポジションだけでなくディフェンスやゴールキーパーも務めていました。
彼は複数のポジションを高いレベルでこなせる選手としても評価されており、そのユーティリティー性は経験を通じて磨かれていきました。
中学2年生の時、彼は茨城県トレセンに選ばれました。
トレセンは各地域で選ばれた選手で構成される選抜チームのことです。
柏レイソルU-15への選抜入り
中山雄太選手にとって転機となったのは、茨城県トレセンと柏レイソルU-15との練習試合でした。
試合は柏レイソルU-15の勝利で終わりましたが、中山雄太選手は強豪チーム相手にも臆することなく活躍しました。
特に彼が強烈なミドルシュートを成功させたことは、柏レイソルU-15スタッフの目に留まりました。
この試合でのプレーは、当時柏レイソルU-15の選手であり茨城県トレセンとの試合に出場していた、上島拓巳選手(現在は柏レイソルに所属)にも「一人だけ他の選手とは一線を画す存在」と言わしめるほどのインパクトを与えました。
この試合のプレーを見た柏レイソルU-15のスタッフから、彼にはなんとオファーがありました。
中山雄太選手は中学3年生の時に柏レイソルU-15に入団することができました。
大怪我と高校時代
入団後、中山雄太選手のサッカー人生は順風満帆のように見えましたが、実際にはすぐに足首を骨折する大怪我に見舞われました。
彼は柏レイソルU-15に入団したものの、怪我によって苦しい日々を送ることとなりました。
彼が進学した高校は千葉県立柏南高等学校でした。
この高校は柏レイソルの練習場からも近く、中山雄太選手が柏レイソルU-18に進むためにはサッカーに集中できる理想的な環境であったでしょう。
柏南高等学校の文武両立教育と中山雄太選手のプロ入り後の経歴
柏南高等学校は評価が高く、偏差値は64という高い数値を誇っています。
また、学校の方針としては文武両立を大切にしており、生徒たちの総合的な成長に力を入れています。
柏南高等学校の教員として働いている中山雄太選手のご両親も、学校の環境や教育方針に影響を与えているかもしれません。
中学時代に大きな怪我をしたことで、中山雄太選手は長い間プレーできない日々を過ごさなければなりませんでした。
その時はサッカーをやめることを考えたこともあったそうです。
しかし、高校2年生の時にようやく本格的にプレーできるようになりました。
中山雄太選手はこう語っています。
「柏レイソルに入ることで一番変わったのは技術よりもメンタルだった」と。
プレーできない期間にチームの戦術を研究し、リハビリに励むなど、努力を重ねてきたことがこの言葉の真意だと想像できます。
復帰後、16歳で柏レイソルのトップチームに2種登録され、U-16日本代表にも選ばれました。
中山雄太選手の経歴①:柏レイソルでキャプテン
高校3年生の時には柏レイソルのキャプテンとしてチームを牽引し、高円宮杯U-18プレミアリーグEASTでクラブ史上初の優勝を果たしました。
当時、柏レイソルU-18はタレントの集まりと称されるほど優れた選手たちが集まっており、中山雄太選手の統率力と周囲からの信頼は非常に厚く、日本代表の選手としての資質を感じさせました。
中山雄太選手のプロ入り後の経歴をまとめると、高校2年生の時に柏レイソルのトップチームとの契約を勝ち取り、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
プロ入り後は出場機会が少なかったものの、2016年に下平監督が就任したことでスタメンとして活躍するようになりました。
この年、柏レイソルのU-18時代に指導を受けた下平監督のもとでプレーすることは、中山雄太選手にとって大きなチャンスとなりました。
柏レイソルでの経歴
日付 | 出来事 | 詳細 |
2015年5月6日 | プロデビュー | AFCチャンピオンズリーグ ベカメックス・ビンズオン戦 |
2015年6月23日 | Jリーグデビュー | J1リーグ 1st第13節 ガンバ大阪戦 |
2016年~ | スタメン定着 | 下部組織時代に指導を受けた下平監督が就任 |
2016年3月27日 | プロA契約 | ヤマザキナビスコカップ 2節 ベガルタ仙台戦 |
2016年7月13日 | プロ初ゴール | J1リーグ 2st第3節 サンフレッチェ広島戦 |
2017年 | ベストヤングプレーヤー賞を受賞 |
中山雄太選手の経歴②:PECズヴォレ時代
2017年、中山雄太選手は柏レイソルでベストヤングプレーヤー賞を受賞しました。
彼はその年の34試合中30試合に出場し、Jリーグでの活躍も評価され、世代別の日本代表にも選出されました。
そして2019年、中学3年生の時から所属していた柏レイソルを離れ、海外のクラブ、PECズヴォレへと移籍することになりました。
2022年3月時点でのPECズヴォレでの経歴や出場記録を振り返ってみると、2020年から2021年のシーズンでは34試合中32試合に出場し、チームにとって不可欠な存在であることがわかります。
これはチームメイトたちからの信頼が厚い証拠といえるでしょう。
また、SNSにはズヴォレで多くの仲間に愛される中山雄太選手の姿がアップされていました。
😂😂😂 I heard “Links” (we have to go to the opposite if the trainer says “Links” or “Rechts”.) https://t.co/9VRDVZduhj
— 中山雄太 (@Nkymyt) March 16, 2019
異なる言語や文化、食事などの環境の違いは、選手にとって大きな困難を伴うものですが、中山雄太選手がここまで信頼を勝ち取ることができたのは、彼の高い順応性や人間性が高く評価されているからではないでしょうか。
今シーズンも既に25試合中21試合に出場しており、1ゴール2アシストという素晴らしい結果を残しています。
これからも中山雄太選手のクラブでの活躍がますます期待されていることでしょう。
PECズヴォレにおける経歴や出場記録をまとめました。(2023年3月時点)
年 | リーグ戦 | 国内杯 |
2018年-2019年 | 4試合 | 0試合 |
2019年-2020年 | 14試合 | 1試合 |
2020年-2021年 | 32試合 | 1試合 |
2021年-2022年 | 21試合 | 3試合 |
中山雄太選手の経歴③:日本代表歴
中山雄太選手は2022年の東京オリンピックにも出場しました。
現在はワールドカップ本戦出場を目指し、アジア最終予選に臨んでいます。
彼のこれまでの日本代表歴を振り返ってみると、2013年には高校2年生の時にU-16日本代表に選出され、以降、毎年世代別の日本代表に選ばれてきました。
2019年にはついにA代表でのデビューを果たしました。
どの世代でもキャプテンの役割を任されてきたことからも、彼の絶対的なリーダーシップと揺るぎない信頼がうかがえます。
中山雄太選手は現在、ワールドカップ本戦出場を目指して厳しいアジア予選に挑んでいます。
彼の活躍が期待されることは間違いありません。
まとめ:日本サッカーを世界の大舞台に導く存在になる中山雄太選手の経歴
中山雄太選手は、中学3年生の時に柏レイソルU-15へと移籍しました。
この移籍は彼にとって大きな転機でした。
怪我による困難な時期もありましたが、それを乗り越えて、彼は高校生の頃から常に日本を代表して世界の舞台で戦い続けてきました。
彼はどのクラブでも、そして日本代表でも、絶大な信頼を得ている選手です。
彼はきっとこれからの日本を背負っていく存在となることでしょう。
彼の今後の活躍には注目が集まっています!
同じく日本代表で活躍する三苫薫選手の気になるプロフィールはこちら!
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!