美輪明宏はハーフで息子や嫁・結婚歴はある?自宅・年収・本名wiki経歴プロフィールまとめ!若い頃の画像あり


10日に徹子の部屋で黒柳徹子さんと共演したことで話題となった美輪明宏さんですが、どのような半生を過ごし、どのような活動を行っているのでしょうか?
この記事では美輪明宏さんはハーフ?息子はいるの?結婚歴は?自宅や年収、若い頃の姿は?等についてまとめました!

目次

美輪明宏の結婚歴や嫁はいるの?

美輪明宏の歴代熱愛恋人まとめ

赤木圭一郎
三島由紀夫さんと愛人関係だったという話が有名ですが恋愛関係にはいたらなかったそうです。
実際に美輪さんが交際していたのは赤木圭一郎さんという方で、日活映画で石原裕次郎さん、小林旭さんに次ぎ、「第三の男」と呼ばれるほど、期待されていた若手俳優だったのですが1961年に撮影現場でゴーカートを運転中に、操作を間違えて大道具倉庫の鉄扉に激突し、他界されたそうです。
その悲しみで美輪さんの代表歌の『愛の賛歌』を歌えないほど打ちひしがれているときに叱咤激励したのが三島由紀夫さんだったそうです。

美輪明宏はハーフなの?

若い頃からその容姿で「ハーフなのでは?」と噂されてきた美輪さんですが、両親とも生粋の日本人です。
祖父や祖母も日本人なのでクォーターでもありませんね。
ただ、美輪さんの出身地は長崎なので、昔から多くの外国人が訪れていた地ということもあり、ひいお婆さんやひいお爺さん、ひいひい…などの前の世代には外国人の血が入っていたのかもしれませんね!
また、若い頃には今よりも痩せていて目鼻立ちがしっかりとしていていたため、メイクなどをするとかなり外国人のような雰囲気になっていたそうです。
さらに銀巴里に所属していた頃は「国籍・年齢・性別不詳」と売り出していたので、そうしたこともハーフ疑惑が上がっていた理由と思われます。

美輪明宏の若い頃がイケメンすぎる? (画像あり)

美輪明宏に息子がいる?養子で遺産相続人?

美輪明宏さんには結婚歴はありません。
1957年に「メケ・メケ」を日本語でカバーし、その容姿も相まって「シスターボーイ」として一躍人気を博していた頃に、自身が同性愛者であると週刊誌で公表しているため奥さんはいらっしゃいません。
ただ、養子縁組した息子さんはいらっしゃるようで、その出会いは50年ほど前。
その息子さんが現在の株式会社オフィスミワの社長さんです。
長い間自身の世話をしてくれている息子さんに遺産を渡すのではないかと思われます。

美輪明宏の自宅は世田谷区駒沢?豪邸に息子と同居?

美輪さんのご自宅は東京都世田谷区駒沢にあるようで、36歳の時に建てたそうです。
自宅の周りにはレモンの木や杏、桃などが植えられておりかなり緑が豊かな場所だそう。
かなり裕福な家庭で育ち、芸術などにも精通していることから自宅の内装も品の良いインテリアで纏められているようですね!
美輪さんには息子さんの両親が亡くなった後に養子縁組した息子さんがいますが、美輪さんの私生活も付きっきりでサポートされているそうなので一緒に住んでいる可能性が高いですね!

顔画像や経歴は元俳優の美少年?

美輪さんの息子さんは名前が公表されていません。そのためAさんとしますが、彼は17歳の頃は文学座の研究生だったそう。
役者としての才能もあったそうなので役者として育て、自身の付き人にして自宅に住まわせていたそうです。
その後、Aさんが役者を引退すると美輪さんは彼を養子として迎え、自身の会社「オフィスミワ」の社長に据えました。
長年自分のためについてきてくれたAさんに感謝しており、報いたいと語っています。

美輪明宏の年収・年齢・本名等wiki経歴・プロフィールまとめ

美輪明宏のwiki経歴は?

1935年5月15日に長崎県長崎市の裕福な家庭に生まれ、5人兄弟の次男として育ちました。
彼の父親はカフェーや料亭を経営して成功を収めており、店があった遊郭街は「丸山遊郭」と呼称されたほど。
しかし、1941年12月、イギリスやアメリカとの戦争体制に入ったことで国から敵の文化を商売にするのは時局に反していると言われたことで金融業に転業しましたが、後に原爆により父親の貸付先が相次いで破産・他界したため、返済を受けられなくなったことにより貧乏生活を余儀なくされることとなりました。


終戦後に自身が鑑賞していた映画に出演していた加賀美一郎のボーイソプラノに衝撃を受けたことによって、声楽とピアノのレッスンを受け始めるようになります。
1951年の春に国立音楽高等学校(現・国立音楽大学付属高等学校)へ進学するため上京しましたが、帰省した際に父親が生活苦に悩む親戚を見捨てるような態度を取ったことにより喧嘩に発展し、絶縁を言い渡され仕送りも止められることになりました。

そのため通っていた高等学校を中退し、生きていくための生活費を稼ぐために進駐軍のキャンプを廻り歌を披露していました。


17歳になった頃、銀座7丁目にあるシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんパリ)」でボーイ兼歌手募集の張り紙広告を見て応募しシャンソン歌手として専属契約を交わし、国籍・年齢・性別不詳として売り出しました。
1957年にはシャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーし、艶麗な容貌でシャンソンを歌い上げたことで一躍人気を博しましたが、人気は1年程で沈静化してしまいます。
その間に、旧来のシャンソンのイメージとかけ離れた生々しい歌詞を歌っていたことや同性愛者だとカミングアウトしたことで人気は急落し、作詞・作曲活動を開始するものの理解を得られずレコード化も出来ませんでした。


不遇の時代が続く中で放射線障害による吐血などの症状に悩まされることとなりましたが、1963年には『上を向いて歩こう』などで有名な作曲家の中村八大らの助力により日本初となる全楽曲が自分のオリジナルによるリサイタルを開催することとなり、翌1964年には、「ヨイトマケの唄」を初めてステージで披露することに。
1966年には、前年の内にレコード化された「ヨイトマケの唄」が注目されたことで人気が再燃しました。
1967年に美輪さんのために寺山修司が書き下ろした舞台作品『毛皮のマリー』や『青森県のせむし男』に主演したことで俳優デビューを果たし、『黒蜥蜴』、『椿姫』、『マタ・ハリ』、『双頭の鷲』、『黒薔薇の館』、『雪之丞変化』等の舞台・テレビドラマに出演を重ねていきました。


1971年には読経中に『美輪』の字が浮かんだことで姓名判断で調べたところ、かなり画数の良い字だったことから神のお告げだと思い現在の美輪明宏へと改名します。

美輪明宏のプロフィール

出生名 丸山 臣吾(まるやま しんご)(幼名)
(1956年に本名兼旧芸名の丸山明宏(まるやま あきひろ)に改名。)
現在 美輪明宏(みわ あきひろ) 
(1971年に読経をしていた際に”美輪”という名が思い浮かび、お告げだと悟ったことにより改名。)
生誕 1935年5月15日(87歳)
出身地 長崎県長崎市
学歴 海星中学校
ジャンル シャンソン
職業 シンガーソングライター 俳優 演出家 タレント 声優
活動期間 1952年 –
レーベル キングレコード
事務所 オフィスミワ(自営)

美輪明宏の年齢・本名は?

美輪明宏さんの生年月日は1935年5月15日で、現在87歳です。
出生時の名前は丸山 臣吾(しんご)で、1956年に姓名判断によって明宏(あきひろ)に改名し、1971年に”お告げ”によって現在の美輪明宏へと改名しています。

美輪明宏の年収は?現在と今後の活動

美輪明宏さんは歌手だけでなく作家などの仕事もしており、「美輪明宏公式携帯サイト 麗人だより」というファン向けの月額330円の会員制サイトも運営していることから、それらを合わせると数千万程度の年収になるのではないかと思われます。
直近の出演番組は2022年10月10日に放送された『徹子の部屋』にて、黒柳徹子さんとの共演が話題となりましたね!
SNSでは「魔女集会」「西の魔女と東の魔女」などと言われています(笑)

まとめ

この記事では
・幼少期は丸山 臣吾、その後丸山明宏、美輪明宏と改名。
・美輪明宏はハーフではないが、土地柄として外国人の血が入っている可能性もあり。
・恋人は赤木圭一郎のみ。
・結婚歴はないが50年付き人として傍にいてくれていた男性と養子縁組して息子に迎えた。
・実家はかなり裕福。
などについてまとめていきました。
ここまでご覧いただきありがとうございました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次
閉じる