日本だけでなく海外でも活躍している女優の菊地凛子さんですが、そのプライベートにはミステリアスなイメージがありますよね。
そこで今回は、菊地凛子さんの生い立ちや家族構成について詳しく調べてみました。
また、菊地凛子さんの学歴情報や学生時代のエピソードを、若かりし頃の素敵な画像といっしょにご紹介いたします。
菊地凛子のプロフィールや家族構成
菊地凛子の実家はどこ?
菊地凛子さんの実家は神奈川県秦野市です。
生まれてから高校卒業まで秦野市で過ごしたそうです。
菊地凛子の本名は?
菊地凛子さんの本名は、『染谷(菊地)百合子』さんです。
デビュー当初は本名の『菊地百合子』で活動していましたが、現在は結婚されて本名は『染谷百合子』となっています。
菊地凛子の生い立ち
菊地凛子さんは1981年1月6日生まれ、小学6年生のときに父親を亡くし、15歳の時に原宿でスカウトされ芸能事務所に所属しました。
高校卒業後は本格的に女優としての活動を開始し、積極的な性格を生かしてさまざまなオーディションに挑戦しました。
映画『バベル』への出演がきっかけで名声を得た菊地凛子さんは、当時は英語が得意ではなかったそうです。
その後、2年間ほど英語の勉強をし、会話が困難な状況から脱し、海外でのオーディションにも挑戦するようになりました。
菊地凛子さんは「間違った英語を話して笑われたことはあるけれど、恥をかくことを恐れない」と語っています。
父親を早くに亡くした経験から、困難な時期もたくさんあったでしょうが、ポジティブで明るい性格の菊地凛子さんが女優として成功した理由が分かりますね。
2015年には11歳年下の俳優・染谷将太と結婚され、話題になりました。
菊地凛子の家族構成
菊地凛子さんは父親、母親、本人の3人家族です。
残念ながら、父親は菊地凛子さんが小学6年生の時に亡くなられたそうです。
あまり情報はありませんでしたが、映画好きだったそうです。
菊地凛子さんが成功を収める姿を見ることなく、ご逝去されたことは本当に残念だったでしょうね。
父親が亡くなった後は母子家庭で育てられ、母親とは当時から非常に良好な関係で、良いサポートを受けながら成長したようです。
菊地凛子さんの母親は一般人なので、情報はあまり公にされていません。
しかし、陽気で積極的な性格だそうなので、菊地凛子さんは母親に性格が似ているのかもしれませんね。
菊地凛子さんに兄弟姉妹がいるかは情報が無く分かりませんでしたが、おそらく一人っ子と思われます。
菊地凛子の学歴
菊地凛子の出身高校
菊地凛子さんは、神奈川県立伊志田高校出身です。
伊志田高校は1976年に創立された中堅の県立校で、1つ上の学年には女優の岡元夕紀子さんも在籍していました。
高校時代の菊地さんは仕事もあったため、部活動には参加していなかったようです。
中学3年生の時にスカウトされ、芸能事務所に所属した菊地さんは、当初は本名の菊地百合子名義でモデルとして活動していました。
1999年、高校3年生の時に映画「生きたい」で女優デビューを果たしました。
また同じ年には榎本加奈子さん主演の連続ドラマ「可愛いだけじゃダメかしら?」にも端役で出演しています。
菊地凛子さんはインタビューなどで学生時代についてあまり語らないため、高校時代のエピソードはほとんど明らかになっていませんが、父親の影響で映画館によく通っていたそうです。
菊地さんは高校卒業後、進学せずに芸能活動に専念し、女優としての道を選択しました。
女優としての活動を本格化させるため、アルバイトをしながら映画に出演し、2004年に23歳で本名から菊地凛子に改名しました。
そして2006年、菊地凛子さんが出演したハリウッド映画「バベル」で演技が高く評価され、女優として脚光を浴びました。
この作品では、聾啞(ろうあ)の女子高生役を演じました。
その後も、様々な話題作の映画やテレビドラマに出演し、着実にキャリアを築いていきました。
菊地凛子の出身中学校
菊地凛子さんの出身中学校は神奈川県秦野市内の公立校であるとされていますが、校名など具体的な情報は不明です。
菊地さんが中学生の頃、母親がファッション誌「SPUR」を愛読しており、それに影響されて親子で読む機会があったそうです。
中学3年生の時、地元秦野市からラフォーレ原宿に遊びに行った際にスカウトされています。
中学時代は、主に広告モデルとして活動していました。
菊地凛子の出身小学校
出身小学校も、秦野市内の公立校だったとされていますが、校名は特定されていません。
まとめ
幼少期に父親を亡くし、悲しい経験をされた菊地凛子さんですが、さまざまな挑戦をして、積極的に生きる姿勢は本当に素敵ですね。
国際的に活躍する女優として注目されているので、今後の活動も楽しみですね。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!