【田村保乃(櫻坂46)の学歴・出身高校】大学は?あだ名・身長・年齢・年収など経歴プロフを網羅!をタイトルにお伝えしたいと思います。
「櫻坂46」の3枚目シングル「流れ弾」でセンターを務める田村保乃さんは、なぜアイドルになったのか、学生時代はどこの学校に通い、どんな生活を送っていたのか、気になりますね。
田村保乃さんは「櫻坂46」の次世代のセンター候補として注目されていますが、学生時代はバレーボールに熱中していました。
学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども一緒に紹介しますので、お楽しみに。
田村保乃さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
田村保乃の学歴は?
まず、田村保乃さんの学歴に注目してみましょう。
田村保乃が通った小学校
田村保乃さんの出身小学校は枚方市立津田南小学校です。
彼女は6歳の時にお兄さんの影響を受け、クラブに入ることからバレーボールを始めました。
田村保乃が通った中学校
次に、田村保乃さんの出身中学校ですが、枚方市立津田中学校に進学しました。
中学時代もバレーボール部に所属し、日々バレーボールに励んでいました。
田村保乃が通った高校
また、田村保乃さんの出身高校についても注目してみたいと思います。
中学校を卒業後、彼女は大阪市立桜宮高等学校に進学したのではないかと言われています。
この学校はスポーツが盛んで、特にバスケットボール部は府内で強豪として知られています。
この学校には人間スポーツ科学科(偏差値55)と普通科(偏差値48)がありますが、田村保乃さんがどちらに在籍していたのかははっきりしていません。
高校時代は、彼女は毎日朝の5時に起きて、夜の10時に帰ってくるという忙しい日々を送っていました。
3年間、学校に通い続けていたため、どこにも遊びに行くことができませんでした。
しかし、3年生の時には「将来の自分について気づき始めていて、実力の限界を感じていた」と打ちのめされる瞬間も経験し、挫折も味わっていました。
なお、この学校は珍しいことに、体育科の方が普通科よりも偏差値が高いという特徴があります。
田村さんは高校時代にはバレーボール部に所属しており、3年間部活動に熱心に取り組んでいました。
そのため、当時の髪型はベリーショートでした。
田村さんは公式ブログで、「小、中、高校生の頃はどれだけ辛いことがあっても、それ以上に頑張りたいという向上心が強かったため、モチベーションが下がることはなかった」と述べています。
彼女の青春時代の思い出は、バレーボールというスポーツに熱心に取り組んだことに尽きるほどです。
なお、高校時代は校則が厳しく、制服の着崩しは禁止されていたそうです。
また、高校3年生の時にテレビ番組「ミュージックステーション」で欅坂46の「サイレントマジョリティー」のパフォーマンスを見て衝撃を受けたとも話しています。
田村保乃の高校卒業後の進路
田村保乃さんの高校卒業後の進路についても注目されています。
彼女はバレーボールと保育士の両立ができる環境を求めて、スポーツ推薦で大学に進学しました。
ただし、具体的な大学名に関する情報は明らかにされていません。
田村保乃さんは、以前は夢がなかったそうです。
しかし、高校時代にバレーボール部の先輩が彼女の世話をしてくれて、「保育士になるのはどう?」と勧めてくれました。
彼女はこのアイデアに魅了され、バレーボールと保育士の両方を追求できる環境を模索することにしました。
しかし、大学に進学した後にアイドル活動が始まり、多忙になったため、彼女は大学を中退または休学したのではないかと噂されています。
彼女の出身大学については明確ではありませんが、彼女はバレーボールの推薦入学で進学したことを「欅って、書けない?」というバラエティ番組への出演時に語っています。
また、彼女は自身が「バカで勉強ができなくて」とも述べており、有名な大学に進学した可能性は低いようです。
私たちは関西バレーボール連盟に加盟している大学の女子バレーボール部の成績などを調査しましたが、田村さんの名前は見つかりませんでした(おそらくまだベンチ入りしていなかったようです)。
また、彼女は大学で保育関連の学科に在籍しています。
地元の大阪市内には女子バレーボール部と保育関連の学科を設けている大学がいくつかありますが、田村さんの出身大学として考えられるのは以下の大学です:
四天王寺大学(教育学部保健教育学科:偏差値47)
大阪大谷大学(教育学部学校教育学科:偏差値43)
大阪成蹊大学(育学部教育学科:偏差値38)
桃山学院教育大学(教育学部人間教育学科:偏差値37)
相愛大学(人間発達学部子ども発達学科:偏差値35)
平安女学院大学(子ども教育学部子ども教育学科:偏差値35)
関西福祉科学大学(教育学部教育学科:偏差値35)
ただし、現時点では情報の欠如のため、これ以上の絞り込みはできませんでした。
また、彼女は大学時代にバレーボールに真摯に取り組んでいたため、グループデビュー後もよくバレーボール関連のイベントに招かれています。
田村保乃がアイドルになるまで
田村さんは大学1年生の時に友達に勧められて「けやき坂46」の追加メンバーオーディションを受けました。
しかし、2次審査の合格通知を3次審査が終わった頃になって初めて気づき、結果として「途中棄権」する形になりました。
事務局からの電話もあったそうですが、知らない番号だったために出なかったそうです。
ただし、田村さんは当時は友達の勧めで受けただけで、本気でアイドルになる意図はなかったと話しています。
その後、大学2年生の8月には「坂道合同オーディション」に挑戦しました。
しかし、アイドルになるためではなく、乃木坂46の齋藤飛鳥さんと与田祐希さんに会いたいという理由でオーディションセミナーに参加したとインタビューで語っています。
「オーディションのセミナーに乃木坂で推しの与田祐希さんと齋藤飛鳥さんがくると知って、無料で会いに行けて、会場も女のコだけ…行くしかないじゃないか!と。
握手会に行くくらい好きで。
そのセミナーに行ったために、2次審査を受けるかギリギリまで悩みましたね」
と述べています。
オーディションの歌唱審査では、田村さんは映画「リトル・マーメイド」の挿入歌「パート・オブ・ユア・ワールド」を歌いました。
しかし、合格した時には「訳がわからなくなった」とインタビューで話しています。
「3次審査に受かって呼ばれた時に、怖くなりました。
「あと最終まで来てしまった、やばい」って震えましたね。
4次の最終審査だけは、さすがに緊張しました~ それまでは、思いのほか楽しく受けさせて頂きましたが。
歌以外の特技披露が課題となっていて、ただただ「アイドルが好き」をアピールしました。
最終に受かったときには、訳が分からなくて…また震えました(笑)」。
オーディションに合格後、田村さんは松田里奈さん、関有美子さん、山崎天さんたちとともに欅坂46の2期生となりました。
欅坂46への配属が決まった際に、田村さんは次のように話しています。
「欅坂46」という名前を聞いたとき、私は涙が止まらなくなりました。
頭の中は真っ白で何が起こっているのか理解できませんでした。
私は本当に欅坂46が大好きなんです。
だから楽屋に入ったら、自分が好きな人が普通に目の前に座っていることが信じられなくて…。
まだ彼女らに挨拶するのも緊張してしまうんです。
今でも、欅坂46という存在が本当に実感できません。」
ちなみに、田村さんは先輩の渡辺梨加さんを応援していました。
グループに加入する前には握手会にも参加したことがあるそうです。
ただし、グループに加入してからは拠点が東京に移ったため、大学は中退または休学している可能性が高いです。
また、公式ブログでも「バレーボールを辞めてから」と書いているので、バレーボール部は少なくとも退部していることが分かります。
田村さんは2018年12月に行われた日本武道館での「お見立て会」でステージデビューしました。
グループに加入してから間もなく、2期生の中でも注目を集める存在でした。
そして2019年9月には欅坂46の9枚目のシングル「誰がその鐘を鳴らすのか?」で、田村さんは森田ひかるさん、藤吉夏鈴さん、井上梨名さんらとともに2期生として初めて選抜メンバーに選ばれました。
また、その際には松田里奈さんとともに1列目に立たされ、グループの絶対的なセンターである平手友梨奈さんの隣に立つという重要なポジションでした。
当時の心境について田村さんは次のようにインタビューで語っています。
「何日も書いては消し、書いては消しの繰り返しでこのブログを作りました」と前置きした上で、「自分の名前が呼ばれたとき、理解が追いつかず頭が真っ白になりました。
発表後、整理して改めて考えたときに不安やプレッシャーや恐怖が押し寄せて、ただただ泣くことしかできませんでした」
これを考慮すれば、運営側も田村さんに対して非常に高い期待を寄せているのが分かりますね。
田村保乃は、櫻坂46の将来的な中心メンバー候補として注目されており、これからの活躍が楽しみです。
田村保乃のプロフィールとこれまで
彼女のプロフィールと経歴について詳しく見ていきましょう。
田村保乃のプロフィールは以下の通りです。
彼女は1998年10月21日に大阪府で生まれました。
血液型はA型で、身長は163cmです。
彼女はSeed&Flower合同会社に所属しています。
田村保乃は、小学生の頃からアイドルにハマっており、前田敦子さんがきっかけでその世界に興味を持ちました。
彼女は部活の休みの日に握手会やライブに足を運んでいたそうです。
しかし、アイドルになることを考えたことはなかったそうです。
彼女が坂道合同オーディションに合格したのは2018年8月19日のことです。
しかし、オーディションの前のセミナーに参加したのは、ただ単に他のメンバーと会うためだけだったそうです。
セミナーでシード権を獲得した彼女は、二次審査に進むかどうか迷っていたとのことです。
しかし、オーディションの途中で欅坂46の全国握手会に参加し、ミニライブで彼女の一番好きな曲である「避雷針」を目の前で聴いたことで考えが変わりました。
彼女は「リズム、ダンス、歌詞、全てに心を奪われて、私も誰かの心を動かせるような、誰かの気持ちに少しでも寄り添えるような、そんな人になりたい」と思うようになり、アイドルへの道を進むことを決意しました。
彼女は欅坂46に配属され、2019年には初めて選抜メンバーに選ばれるも、その楽曲は発売中止となってしまいました。
2020年にはグループが改名し、櫻坂46としてのファーストシングル『Nobody’s fault』の表題曲のメンバーに選ばれました。
さらに、2021年には櫻坂46の3枚目シングル『流れ弾』のセンターを務めることが発表され、ファースト写真集『一歩目』も発売しました。
田村保乃のあだ名とは?
田村保乃さんには、あだ名もあります。
これにも注目したいと思います。
田村保乃さんは、いくつかの愛称で呼ばれています。
例えば、ほにょ、ほのす、ほの、保乃ちゃん、たむちゃん、たむたむなどです。
「保乃」の名前は、最初に候補として「ほの」と「このみ」の2つがありましたが、お腹を蹴ったことから「保乃(ほの)」という名前になったそうです。
田村保乃の現在の年収は?
田村保乃さんの年収について注目してみましょう。
田村保乃さんの年収は公表されていませんが、グループで出演したトーク番組で
「初めの頃は本当に苦しかったです。
おにぎり1つ買うのも苦しかった」
と明かしています。
また、初めてのお給料は電車賃に消えてしまったとも話しています。
しかし現在は少し余裕が出てきたようで、お母さんから借りた電車賃を少しずつ返しているとのことです。
まとめ
田村保乃さんはシングルのセンターに抜擢されていますが、個人の仕事はまだ多くないため、年収は数百万円程度だと推測されます。
田村保乃さんは、ずっとバレーボールに打ち込んでいた生活から一転してアイドルとなりました。
彼女が所属する「櫻坂46」のメンバーとして、今後も頑張ってほしいですね。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
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